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絶倫ファクトリー

生産性が高い

ラピュタ、もとい軍艦島に行ってきた。

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GW中、今話題の軍艦島に行ってきた。もともといく予定を立てていたところ、上陸の前々日に世界遺産登録の勧告が出た。

軍艦島の凄さとは何か。一言でまとめてしまえば、陳腐だが「圧倒的なラピュタ感」だ。単なるアパートや炭鉱跡地の廃墟は他にもある。違うのは、

  • 島まるごと廃墟というスケールの大きさ
  • 縦横無尽にコンクリートの塊が敷き詰められた密度の高さ
  • そしてそれがわずか40年前まで日本で最も近代的な場所だったという事実

技術を先鋭化させ土から離れた結果、人が生きられなくなったラピュタそのものだ。

人のスケールを超えた空間

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軍艦島は、当時の最先端技術で採炭を始めてから80年で最盛期を迎えた。そこから閉山して今の廃墟と化すまで半分の40年。これは長いのか短いのか。僕らがピラミッドを見るとき、これが何千年も前にあったのか、そして何千年も残っていたのか、という「長さ」に着目する。けれど軍艦島に対しては、むしろ1km四方もなかったただの岩礁が120年で繁栄と衰退を経験したというその短さに驚く。

軍艦島で生活していた人々の様子を知っていれば、尚の事だ。事前に軍艦島の写真集を買って見ていたが、島に生きる人々の表情は、言われなければ軍艦島の島民だとは分からない。そこにはごく普通の、いや彼らの給与水準からすれば普通以上に都市的・現代的な生活が、そこにはあった。あったはずなのだ。

GREAT HASHIMA 大いなる端島

GREAT HASHIMA 大いなる端島

だからこそ、実際に島に上陸したときの、「人が生活していたとは思えない」感じには驚いた。軍事施設だったと言われればまだ納得がいく。巨大な鉄筋コンクリート造のアパートが、あれだけ狭い間隔で並んでいるのは見たことがない。しかも急勾配の岩礁に沿って建てられているため、三次元的にコンクリートの塊が敷き詰められているのだ。外から見れば軍艦だが、中から見ても要塞である。進撃の巨人実写版のロケに使われたらしいが、確かにこれは人間のスケールではない。巨人のスケールだ。

廃墟としての軍艦島の魅力

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ツアーはあっという間だった。全体からすればわずかでしかない見学許可エリアですら、充分に見れたとは思えなかった。もっと色んな場所を見て、人が生きていたのだという「証拠」を見つけたかった。それは単なる冒険心の言い換えでしかないかもしれない。とはいえ軍艦島に限らず、廃墟の魅力はそういうものな気がする。廃墟は人間と自然の意図せざる合作芸術だ。建築物自体は人間の所業だが、廃墟に至るには自然の力が必要だ。もちろんそこには時間という強い変数が存在しているのだが、軍艦島は、そのスケールに釣り合わない、極めて短い時間で作られたスピード廃墟である。ただの岩礁が最も近代的な生活を送ることの出来る場所になり、そしてあっと言う間に無人の廃墟に帰した。この栄と枯、盛と衰のギャップが軍艦島の本質的な魅力であり、僕らの冒険心をくすぐるのではないか。

軍艦島ツアーのガイドさんがこんなことを言っていた。軍艦島に関わる人々は、軍艦島を「保存しよう」とは言わない、あくまで「保全」だと。長期的にこの島がただの岩礁に戻ること自体は避けられない。人に出来るのはメンテナンスを行いその時を先延ばしにすることだと。廃墟が人間と自然の合作である以上、時間の流れを止めることは廃墟にとって本質的な改変であり、仕方ないと思える。一方軍艦島を廃墟ではなく遺産と捉えるとまた話は大きく異なると思うのだが、それについてはまた今度どこかで書こうと思う。

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ABテストツールは「数打ちゃ当たる」を機械化するためのツールではない

タイトルが全てなんですけどね。
以下のような記事を見つけまして。

駄文:ABテストがモノづくりを破壊する | nekokak's blog

いろいろと突っ込みどころはあるんですが、まず最初の「ABテストとは何か」が間違ってるんですよね。

ABテストって簡単に言うと2つ以上ある選択肢のうち一番良い結果を出すことのできるものを見つける事ですね。

もしこの記事を書いた方の組織がABテストをこのように捉えているなら、そりゃモノづくりもクソもあったもんじゃないよなと思います。

ABテストって、単に複数のクリエイティブから良いものを見つけ出す手法じゃないんです。
仮説を検証する行為なんです。テストなんですから。
単に複数のクリエイティブから良いものを見つけ出すなら、クリエイティブのパーツを機械的に作って、何千何万パターンと試せばいい。逆に言えば2つやそこらのパターン試しても意味ないです。数少なすぎ。

そしてそのやり方は、テストが上手く行かなかった時になにも残るものがありません。数打ちゃ当たるはつまり博打であり、博打は負けから学ぶことは何もありません。とかく次の博打を打つだけです。

ABテストは仮説を検証するものなんです。
よく「うちの会社はABテスト月に何十本回してます!」みたいな記事が上がりますが、仮説検証的なテストでなければ100本回そうが中長期的には得るものは少ないでしょう。
そうではなく、ウェブの解析データなりユーザヒアリングなり、事前のリサーチから得られた仮説を検証するのがテストです。
例えばサイトの解析データから、ある流入元からのユーザは特定の商品を好む傾向にあるようだ、という仮説があれば、その流入元からに来訪者の50%にはその商品を押すクリエイティブを出し、CVRの違いを見る、というテストを組むべきです。

仮説のあるテストならば、テスト結果が悪くても学びはあります。というかテストなので本来的には結果にいいも悪いもなく、常に解釈は「仮説が立証された」か「仮説が反証された」のどちらかでしかありません。ABテストツールは、あくまで仮説を検証するためのツールです。それを理解しないまま博打を打つ組織には、現場が疲弊しかつ上には良い結果を報告できないという二重苦が待ってます。

ちなみにこの話はテストの数が多いことを否定するわけではありません。仮説検証の際、事前の仮説の精度が大事になってきますが、僕が経験上一番精度高いと思う仮説の出し方は「テストしてみる」です。テストやった結果の深堀りが一番精度高く良い仮説が出てきます。良い仮説は良いテストを生み出し、良いテストは良い仮説を生み出します。なので事前のリサーチで仮説の精度を上げることも意味はあるのですが、「まずはテストしてみる」が重要です。

神保町奇譚

神保町に越してきて十日近く経つが、やれ片付けだやれ買い物だでちっとも街歩きが出来ず、ようやく今日それが叶った。

家の目の前にあるワンダーで出久根達郎の『古本奇譚』を見かけた。当初買うつもりはなかったのだが、そのあと同じフロアで手に取ったエッセイ本がたまたまその本について言及していて、あれこれはさっき見かけた本じゃないかと元の棚に戻って手に取った。

エッセイ本が言及していたのは、古本奇譚のうち芦原将軍に関する部分だった。芦原将軍は昭和初期に天皇を名乗った精神病患者で、当時のマスコミを騒がせた人物。乃木将軍や伊藤博文と実際に院内で話したこともあるという。Wikipediaの「珍項目」というカテゴリに確か彼の話があって、そのカテゴリを漁っている際に読んだ。

古本奇譚の「狂聖 芦原将軍探索行」は、そんな芦原将軍の正体を探る男の物語。彼が書いた「勅書」(実在する)を買いたいと言われた古本屋の主が、芦原将軍の自叙伝といわれる文書から、様々な推理をする。それだけでも充分面白いのだが、何せ古本から始まる話、場面場面で神保町が出てくる。本を読んでいる喫茶店の向こうが実は物語の舞台だったかもしれないのだ。

この話は一応一人称が私となっている。著者の出久根達郎の体験というわけだ。彼も実際当時は古本屋の店主をしていたので、おかしくはないのだが、さすがに8割方は創作だろう。とはいえ前述のように芦原将軍自体は実在したし、資料も実在のものだ。おまけにこの本を買った場所がちょいちょい出てくるとなると、不思議な感じがする。

「私」は数少ない資料から、友人とともに芦原将軍の正体さがしにのめり込むのだが、ふと気づくと自分も彼の正体がとても気になってくる。世間のお騒がせで終わったはずの彼が実はあんな事件の裏に、、、そんな陰謀論めいた推理を「私」はするのだが、いやいやそんなはずはあるまいと突っ込むたび、「では自分が確かめてみればいいのでは」という気持ちがもたげてくる。窓の外は古本だらけだ。自分で調べられるのではないか?彼にまつわる古本を、探せば良いのでは?

古本屋で見つけた古本に関する古本によって、ますます古本屋にのめり込みそうになった。不思議な街に引っ越してきた。

グラビティで始まりグラビティで終わる物語 ―「ゼロ・グラビティ」を観てきた

※ネタバレあり。



1.物語が良い
2.宇宙空間の描写が良い
3.3Dを上手く使っている

ということでとても良い映画だった。

グラビティで始まりグラビティで終わる物語

既に見た人の多くが口を揃えて言うように、邦題の「ゼロ」は余計だ。この物語はグラビティに始まり、グラビティに終わる映画だからだ。

サンドラ・ブロックの演じる主人公は、娘を事故で亡くしている。原因は道端で「転んで」頭を打ったことだった。グラビティ(重力)のせいで娘を失った。

彼女はそのショックから逃げるように、宇宙でのミッションに没頭していた。映画の大半は、そんな彼女が事故で船外を彷徨い、無重力空間のトラブルや恐怖と闘いながら、なんとか地球に帰還する様子を描くのに割かれている。ゼロ・グラビティの世界だ。

ラストシーン、脱出用の宇宙船が海に着水する。普通ならばそこで終幕なのだが、コクピット内に海水が入り、彼女も一度海に潜らざるをえなくなる。宇宙服が離着陸時用のものでなかったのか、どんどん体は沈んでいく。グラビティのある世界に、一気に引き戻される。

泳いで近くの岸についた彼女は、自分の足で地面に立つ。カメラはローアングルで、重力を噛みしめる彼女を写す。

グラビティのある世界から逃避し、グラビティの無い世界で死の淵に追い詰められ、それでも最後に意志を持ってグラビティのある世界に戻る。彼女の物語は、グラビティで始まり、グラビティで終わる。だから、邦題の「ゼロ・グラビティ」は物語の半分しか示していない。

「ゼロ」を付けたくなるのも分かる無重力空間の描写

とはいえ、うっかり「ゼロ」を付けてしまいたくなるくらい、宇宙空間の描写は巧みだった。宇宙空間を描いた作品では「アポロ13号」が好きだったのだけれど、それを上回る出来だった。

空気抵抗がない宇宙空間では、体が回転すると決して止まらない。序盤でサンドラ・ブロックの体がグルグル周る長回しのシーンがあるのだが、見てる方はいつか止まるだろうと思っている。ところが本当にこれが止まらない。速度も落ちない。当たり前なのだが、「あーそうかこれほっといたら一生回り続けるのか!」と途中で気づき、怖くなる。

回転だけではなく移動もそう。一度ある方向に動いたら、別の方向に力をかけないと止まらない。吹き飛ばされて回転しながら漆黒の闇に吸い込まれていくサンドラ・ブロックの姿は、それだけでぞっとする。

なのでこの映画、ホラーではないが、ストレス耐性がなかったりパニック映画弱い人は向かないかもしれない。過呼吸を起こしたりしかねない。そのくらい巧い描写だった。

3Dは必須

「3Dで見ろ」も事前によく聞いた話だった。無重力の中でふわふわと球体になって浮かぶ水分や、猛スピードで飛んでくる衛星のカケラは確かに3Dでないと楽しめない。3D対応の映画はいくつか見たが、思わず「おっと」と避けそうになった映画は、初めてだった。どこかで読んだインタビューでは、3Dをうまく活かすにはどうすれば、というところから逆算して作ったとも聞いた。2Dで見るメリットは無い。

逆に言うと、本作の3D表現の面白さは、脚本レベルで根本的に「埋め込まれた」ものだ。ここまで3Dを活かせる映画は、しばらく出てこないかもしれない。

「エリジウム」を観てきた

エリジウムを見てきた。第9地区ほどディストピアの描写が面白いわけでもなく、とはいえユートピアの描写もあまり多くなく、世界観の面白さでは第9地区に劣る。第9地区と違ってディストピアとユートピア両方存在するのだが、別に尺はあまり変わってないので、当然密度は下がる。そもそも第9地区が「エイリアンが襲来した上に思ってたよりクズでスラム街に居着きやがった」という設定だけですでに大勝利なので、あまり比較しないほうがいいのかもしれない。

とはいえおっと思う部分もあった。エリジウムは地球から離れた宇宙ステーションなのだが、円の内側半分をくり貫いて居住スペースにしていたのは良いアイデアだった(ちなみにエリジウムのデザインはエイリアン2ブレードランナーを担当したシド・ミード。1975年にNASAに依頼されて描いたリング状のスペースコロニー図によく似ているらしい)。あとアーマダイン社CEOの社用シャトル(地球とエリジウムを往復する)が黒と赤の流線型で超Cool。全体的にガジェットはカッコ良かった。あとあれだけの砂埃の中びくともせず動くノートPC欲しい。絶対米軍欲しがる。中東用に。

WIRED VOL.9 (GQ JAPAN.2013年10月号増刊)

WIRED VOL.9 (GQ JAPAN.2013年10月号増刊)

WIRED日本語版 vol.9にブロムカンプ監督のインタビューがあった。彼は1979年のアパルトヘイト真っ盛りなヨハネスブルグで生まれた。94年、15歳の時にアパルトヘイト政策が崩壊。”エリジウム”は開放され、すべてが"市民”となった。もちろん現実の南アフリカにエンディングはなく、アパルトヘイト崩壊はむしろ電気柵や鉄条網の数を増やす結果になった。本作はそうした体験がベースになっているのだろう。

ストーリーの本筋からは離れるが、気になったのが個人情報をめぐる描写だった。劇中、地球でもエリジウムでも、氏名とそれに紐づく個人情報はモニタ越しにすぐ呼び出すことが出来る。顔を認識するだけで犯罪歴から病歴まで出てくる。それは「地球」と「エリジウム」という風に居住地を厳格に分け、管理する必要があるからだろう。江戸時代もそうだったが、人間を特定の場所に押さえつけて管理したい場合、どうしても国家によるハードな個人情報の管理が必要になる。そいつが「誰」で「今この場所に」いる「資格」があるのかチェックする仕組みを、対象となる領域全土「共通で」持つ必要があるからだ。

とはいえ、少なくとも日本では国民背番号制は普及していないし、これからもしないだろう。海外でもエリジウムほどハードに国家が氏名に様々な個人情報を紐付けて呼び出し可能にするというのは、メリットよりリスクが大きい。エリジウムのような管理体制はきっと未来永劫来ない。

とはいえ、僕らはインターネット上に日々個人情報をばらまいている。ばらまいている自覚無しに。ばらまくのはいいのだが、ばらまいたものを自分自身で管理出来る状態にないのがやっかいだ。逆にいえば、GoogleFacebookが本気を出せばメールアドレスやSNSのアカウント名1つから個人情報を高い精度で呼び出すことは可能だろう。国家が管理しているケースより、精度は下がる。100%正しくはないだろう。でも人によっちゃ95%くらいの精度なら多分出せる。おおかたそれで十分だ。

デモグラフィックな情報に、顔情報まで加われば、Google Grassを通じてその人の人となりを判断する情報をさっと(勝手に)呼び出せる時代はそう遠くない。そういう意味では、エリジウムの世界はわりとすぐ近くにあるのかもしれない。

2.5次元とは何か ―ニコニコ超会議/超パーティー感想に代えて

2.5次元という言葉がある。

この言葉にはいくつか意味があるようなのだが、ここでは「あの人2.5次元ぽい=アニメや漫画のキャラクターのように、発言や動きがユニーク」としておく。

昨日ニコニコ超会議と超パーティに行ってきた。超パーティは席が遠かったし基本はユーザーフォーカスなのでテレビで見たあの人が目の前に! というわけじゃないんだけど、超会議で一人、生で見た時にいわゆる「オーラ」があるなと思った人がいた。ひろゆきだ。

ZUNビールを飲みにいったら、ビール売り場の横の椅子にひょこっと座りながら談笑していた。
本当にそれだけ。それだけなんだけど、なんだかオーラがあった。

オーラがあるという表現は、芸能人を実際に目の前にした時によく使われる。僕はそういう経験をしたことがあまりなかったので、単なる権威への信仰心じゃないかと思っていたが、超会議と超パーティで少しその考えを改めた。

超パーティや超会議で、ボカロ曲に合わせて女の子たちがダンスを踊っていた。「踊ってみた」ブース以外にもそういう場所があって、正直レベルは、低いというよりバラバラ。ダンスのうまさには個人差があった。そして、ダンスがうまい女の子は、どうしてか可愛く見えた。そこら辺うろつけばもっと可愛い子はいる環境だったにもかかわらず、ダンスがうまい女の子は、可愛さ三倍増だった。

なんでだろうと思ってダンスやってた子に聞いてみた。すると、練習過程であれだけ一挙手一投足自分の動きを見ていたら、それは自分が可愛く見える見せ方もわかるしそう見せるようになる。ステージに立つ人間の覚悟。という答えが帰ってきた。なるほど。

じゃあオーラがある人というのは、そういう自分の見せ方を普段の動作においても一挙手一投足のレベルまでコントロールできている人なのかもしれない。

そして2.5次元という言葉は、マンガやアニメのキャラクターのようにキャラが立っているという2次元側の要素と、自分の振る舞いを一挙手一投足のレベルでコントロールできているという3次元側の要素、両方の意味で正しい言葉な気がした。

ニコニコ動画は、生主など見ていると、その人のキャラを立たせる=2次元化する。一方で、超会議や超パーティの「ステージ」は、そこに立つまでの過程含めて、一挙手一投足レベルの身体コントロールを要求する=3次元化する。ニコニコ超会議(超パーティー)は、人間を大量に2.5次元化させるスキームなのかもしれない。2.5次元的な人はそれこそ芸能人など、いるにはいたがマスメディアの周りの人間に限られていたわけで、ネットで2次元化しリアルで3次元化するという構造は、わりと新しいものな気がする。

エル・グレコの絵がめっちゃマジック・ザ・ギャザリングのイラストっぽい。

爆弾低気圧に紛れて4時くらいに行けば空いてるだろうという魂胆で、会期末最後の土曜日、エル・グレコ展に行ってきた。

構図が凄い、時間的な動きを感じるなど、素晴らしい点はいくつもある。しかし一番印象に残ったのは、エル・グレコが<見えないもの>を<見えないもの>として絵画に落とし込んでいる点だ。キリストや使徒がまとう<holy>な感じを、そのままオーラのように人物の周りに描いている。

エル・グレコの絵、特にヴェネチアでの修行を終えたトレド時代は、筆致が荒い一方で陰影がはっきりしており、デフォルメがされている。昔スペインで実物を見た時、妙に漫画っぽいなと思った記憶がある。卑近な例で言えば、超サイヤ人の「気」やハンターの「念」がそのまま西洋絵画の中に現れた感じだ。

加えて、エル・グレコの絵は動きがある。それは時間的な動きだ。「受胎告知」はモチーフとしても彼の作品としても有名なものだが、彼はこのモチーフで別の絵を描いている。

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2枚目のほうがトレド時代に描いたものだ。1枚目はそれまでの宗教画のように、1枚の絵の中でエピソードが完結している。聖書の1エピソード、つまり「物語」をキャンパスの中に押し込めている。一方2枚目の方は、「瞬間」を描いている。観るものに「この後何が起こるのか」を想起させる。

で、これが何に見えるかというと、Magic The Gathering のイラストである。

カードゲームのイラスト、特に(クリーチャーやモンスターではなく)呪文系のイラストは、そのカードが使われた時の状況=カードの効果をイラストにしている。エル・グレコの画は

・<目に見えないもの>=超自然的なものをそのまま記号化している。ファンタジーっぽい。
・「瞬間=状況」を描き、その後の動きを想起させる。魔法を使った瞬間を描いているかのよう。

ということで、非常にMtGっぽい。

この「キリストの復活」とか絶対キャプションに「すべてのパーマネントを破壊する」とか書いてある。
キリストのこのドヤ顔はもしかしたら再生できないかもしれない。

【キリストの復活】 4白白 ソーサリー
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あと「無原罪の宿り」は多分 5/5 飛行持ちの天使トークン出てくる。
きっとインスタント。

【無原罪の宿り】 3白白 インスタント
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ということで何が言いたかったかって言うと、
・エル・グレコ展素晴らしかった。あと数時間しか開催してないけど超おすすめ!!
・ねとぽよのブログに 【跡地】インターネットはMtGを変えた ~Magic the Gathering 20周年に寄せて~ - netpoyo広報ブログ っていうMtGに関する記事を寄稿したよ!! こっちは超真面目に書いたのでぜひ読んでね!! 宣伝でした!!