iPhone国内発売について気になる二つのこと
昨日の夕方あたりからネットはあっちもこっちもiPhoneとソフトバンクの文字で溢れている。個人的にiPod周りに関してはジョブズの商法に踊らされまくっているので、iPhoneも初めて見た瞬間からわくわくしていた。…自分が今使っているキャリアはドコモだったのでちょっと残念だったが。
既にiPhone関係の記事はソフトバンクとの契約発表以前から多く出ているのでここで細かい話はしない。個人的に気になるのは以下の二点。
- 今回のソフトバンクとの契約は独占契約なのか?(ドコモやその他のキャリアで販売される可能性は?)
- ソフトバンクはiPhoneをどのように売るつもりなのか?
ソフトバンクとの契約は独占契約なのか?
これについては時間が経てば分かることなので単なる予想ゲームでしかないけれど。冒頭で引用したITmediaの記事では「他のキャリアから販売される可能性は低い」としている。
ただ国内で複数のキャリアがiPhone販売を手がけているケースはゼロではない。
VodafoneとTelecom Italia、イタリアでiPhoneを発売へ - CNET Japan
イタリアではVodafoneとTelecom Italiaの二社が平行してiPhoneを取り扱っている。
ただしこれには裏というか、条件がついているようだ。
iPhone、イタリアでは独占販売権方式を取りやめる可能性も - CNET Japan
要するに同報道は、AppleがTelecom Italyを通じて、3GモデルのiPhone発売の準備を計画しているものの、Telecom Italyは、iPhoneユーザーのデータ通信利用料金分配を、Appleに支払う必要がなく、独占的に販売権を取得する契約を結ぶのでもないとしている。その結果として、iPhoneの販売価格は、他の国よりも高くなりそうだ。
これまでに、AppleはiPhone販売に関して、キャリア4社と独占契約を結ぶに至っている。米国ではAT&T、英国ではO2、ドイツではT -Mobile、フランスではOrangeとである。iPhoneを独占的に販売する権利の見返りとして、これらのキャリアはAppleに対して、その販売契約期間中はデータ通信利用料金分配を支払うことになっており、AT&Tのケースだと、1ユーザーにつき毎月およそ18ドルが、月額利用料分配契約として支払われていると見られる。
要は国内でiPhoneを独占するにはインセンティブ契約を行う必要があるらしい。Appleへの「上納金」を毎月払う必要がある。
朝日新聞の記事によると、Appleがドコモではなくソフトバンクを選んだ理由としてそのインセンティブ契約でソフトバンクが折れたのではないか、という憶測が流れている。
iPhoneをめぐっては、ソフトバンクとNTTドコモが、アップルと水面下で交渉。各国で最大手から発売されたため、ドコモ優位との見方もあった。通信料収入の一部をアップルに納める仕組みがあり、「ドコモが難色を示し、ソフトバンクが折り合った」との見方がある。
ただソフトバンク契約以前に流れていた観測では、「ドコモ優勢」とされていた理由の一つがこの「上納金」であったようだ。
ドコモとソフトバンクはそれぞれアップルと水面下での交渉を重ねているとみられるが、前出のアナリストは「最大のポイントは“上納金問題”だろう」と推測する。
これは、アイフォンの利用者が毎月携帯電話会社に支払う使用料のうち、一定額をアップルに支払うという、業界では異例の契約だ。アップルは公にしていないが、米投資銀行のアナリストは「アイフォンの利用者1人あたり毎月18ドル(約2000円)が、AT&Tからアップルの懐に入る」と試算している。
ちなみに07年7−9月期の顧客1人当たりの月の収入はドコモが6550円、ソフトバンクは4800円。米国と同条件だと仮定すると、ドコモで約3割、ソフトバンクで約4割を持って行かれる計算だ。
アイフォンの契約期間の2年間の合計は432ドル(約4万7500円)。携帯電話会社が販売代理店に支払う販売奨励金は1台当たり平均3万円前後だが、それと比べても高い。
データが古い上にアメリカと同じ条件、というのも考えづらいのでそのまま参考には出来ないが、一人当たりの月の収入がソフトバンクの方が少ないとすれば、現状の料金プランとはまったく別の契約方法になるだろう。
ソフトバンクはiPhoneをどう売るのか?
この「どんでん返し」ともいえる逆転劇を見せてiPhoneの販売権をもぎ取ったソフトバンクだが、彼らはこの高性能なおもちゃを誰にどのように売るつもりなのだろう?
現在のソフトバンクのシェアは約2割。ドコモが約5割を占めている。
残念ながら日本国内における各キャリアの世代別のシェアを記したデータが手に入らなかったので、完全な憶測になるが、伸び悩んでいるとは言えドコモは以前30〜40代の社会人のシェアの多くを握っているのではないかと思われる。若い世代に関しては、KDDIとともに近年追撃をしている。
ターゲットを決めずに宣伝しまくるだけでは自分で自分の足を食うことになりかねない。ドコモが持っている中堅世代の社会人のシェアを奪うのか、若い世代の顧客競争でKDDIを蹴落とすのに使うのか。
そもそもiPhoneの機能は明らかに既存の日本の携帯電話と異なる。そのためドコモ・KDDI・ソフトバンクという既存のマーケットではなく、Willcomやイーモバイルなどのスマートフォン市場での競争になるという見方もある。
iPhoneは日本ドメステック携帯の代替にはなり得ないし、別に日本ドメステックな機能は不要。今持っている1台目にやらせればいい。ワンセグとかモバイルSuicaは2セットいらないし。
だから、e-mobileとかWillcom、SBのホワイトプランの二台目としての新規購入の市場とかち合うと予想してる。
特に、携帯各社とも実質的に2年縛りになっているので、今年中に機種変出来る人以外は必然的に2台目になってしまうよね。
また若い世代に対しての売り方としては、「iPod付きの携帯、欲しくないですか?」というものが考えられる。ただこれもiPod touchがそこまで若い世代への訴求力を持っていなかったことを考えると、「キャズムを越える」のは難しいかもしれない。
PCにあまり詳しくない方々は、iPodというと四角い図体に二重丸(◎)がくっついた個体だと認識してたりする。実際iPod touchの知名度はなかなか高くなく、「それ本当にiPodなの?」と聞かれることもしばしば。だから、「この携帯はiPod機能がついていますよ!」と言っても、「え、でも◎ないじゃん」と言われかねない。「えーマジでそんなことがあんの?お前の妄想じゃねーの?」という人は、とりあえずソフマップとかビックカメラとかヨドバシカメラで短期バイトすれば分かる。◎はiPodの象徴なんです。
加えて先のインセンティブ契約がネックになり、おそらく必要な料金は安くない。金銭的にも若い世代には訴求力を持たないと思われる。
そうなるとやはり上記の社会人が二代目に持つ携帯電話、として売り込んでいくのが現実的なのだろう。しかしもしこれが独占契約だったとするならば、せっかく高いインセンティブ契約をしたのだから、未だ発展途上のスマートフォン市場に斬ってかかるだけでは勿体無い。現行のバランスを一気に崩せるかもしれない機会なのだ。
既に国内でソフトバンクが発売する、というたった二行のプレスリリースが流れただけで、この手のガジェットに興味を持つ人々は相当食いついている。そしてそういう人々にまず第一波として訴求した上で、第二派としてその周囲の人間に広まっていけば、ドコモが持っている(であろう)30〜40代のシェアにかなり食い込むことが出来るのではないか。
権力主体の喪失―携帯電話を巡って
間が空いてしまった。八月はサークルとバイト、九月は延び延びにしてきた宿題をやっていた。(うちの大学は九月から授業)(成長しないな!)
先日、haruで繋がりのある方が、「仕事中、小学生の息子がつまらない用事で電話してきたので怒った」と言っていた。その後のやり取りなどを見て、つくづく時代は変ったんだなぁと思った。
僕が小さいころは、そもそも携帯電話が無かったのでつまらない用事で電話など出来なかった。電話番号が、家・職場と言った「場所」単位だったので、電話をかけることには希少性・手間があった。
携帯電話の氾濫は、すなわち電話番号の氾濫を意味する。電話番号が「個人」単位になったことで、電話をかけることの敷居は下がった。電話による個人へのアクセスビリティが上がったとも言える。
さて問題なのはここからで、アクセスビリティの上昇=環境の変化によって、それまで有効だった「規律」「ルール」がどう変化するのか/すべきなのか、ということが重要になってくる。携帯電話以前なら、仕事中に息子から電話がかかってきたら、何か大事が起きたのかと思うかもしれない。なのでそれを禁止するnormはそれなりに正当性がある。そして今回の場合、その方は「つまらないことで電話をかけてくると、仕事の邪魔だし電話を切ってしまうかもしれない。そうすると本当に大事なときに電話が通じなくなる」という理由で息子さんをしかっていた。ただ、携帯電話が通じなくなるのは、携帯電話以前の時代に戻るだけであり、携帯以前はもともと大事なときに電話が通じる保証はなかったのだ。
つまり、ここで起きているのは単なる個人へのアクセスビリティの上昇というより、アクセスビリティのコントロールが容易になった、という変化である。 電話をかけてほしくなかったら、かけるなというのではなく上の通り電源を「切って」しまえばいい。環境が規律を飲み込んでいるのだ。かろうじて有効なのは、上記のような「電源を切る/切らない」という環境の構築に対するorderである。それですら、そのorderを守るか否かはorderの制定者自身=携帯の使用者にゆだねられてしまう。
環境の変化が容易になるという変化。この変化を目の前にして、それ以前に有効だった「規律」「ルール」が音を立てて崩れている。携帯電話のみならず、ウェブ上のコミュニティ、オフラインの世界でもこうした現象は起きている。
先月、東京メトロの社員が知人女性の個人情報を端末から盗み出し、自分のブログに掲載したという事件が起きた。
東京メトロ浅草駅に勤める男性社員(26)が、同駅の端末で勝手に利用客の個人情報を手に入れ、インターネット上の自身のブログで公開していたことが分かった。東京メトロは社員に詳しく事情を聴き、処分する方針。18日にはブログを閉鎖させた。
同社などによると、社員は、勤務先の情報端末を使い、あらかじめ知っていた知人女性の名前と生年月日を検索して、記名式ICカード乗車券の購入時に登録する電話番号などを入手。その際に撮った端末画面のアップ写真数枚を8月16日付のブログに掲載していた。女性を中傷したととれる文言もあった。同社はほかにも個人情報を不正に入手していなかったか調べる。
東京メトロやブログには、女性本人からを含めて多数の苦情が寄せられたが、本人はブログで「しかたないよ」と反論していた。
この事件は、犯人がブログ上で閲覧者からの批判に対し「仕方ない」という迷言を残したことでもちょっとした話題になった。この「仕方ないよ」という発言、知人女性が悪いんだ!という逆ギレなのか、それとも環境的に端末にアクセスできるんだからやっちゃうのも仕方ないよ、という開き直りなのか。真意は分からないが、いずれにせよ、こうした問題の解決策としてよく提示されるのは、情報にアクセスできる人間をより厳密にidentifyせよという話だ。規律訓練形権力の穴を、環境管理型権力で埋める。そして徐々に徐々に、「誰が権力を行使しているのか」が分からなくなる。環境に対するorderを出している人間は、アーキテクトとして環境の後ろに隠れている。
宮台真司はウェブ2.0の本質を「主体の消失」と定義したが、ウェブ上のみならずオフラインの世界でも、権力という主体は徐々に消失しつつあるのだ。そして携帯電話の例のように、環境の構築・設定に対するorderの発信者と受信者が同一になるとき、全てが「仕方ないよ」で進む世界が来る、のかもしれない。
電子マネー
Amazon.co.jp、電子マネー「Edy」による決済を開始
ついにアマゾンの支払いがケータイからできるようになった!
とは言うものの、Edyにチャージをしておかねばならないのだけれど。
最近、電子マネーがどんどん便利になっていく。
僕はセブンイレブンの「nanaco」しか使っていなかったのだが、このアマゾンのEdy対応によってEdyをダウンロードし、加えて
JR東日本:Suicaポイントクラブ
こんなものが出来てしまったので、おそらくモバイルSuicaも使うことになる。ところでモバイルSuicaもちゃんとPASMO圏内で使えますよね?
ちなみにnanacoについてだが、使用金額に応じてポイントが溜まるのは嬉しい。だがモバイルnanacoはどうも今のところモバイルバンキングからのチャージに対応していないようで、至極残念である。これじゃモバイルのうまみが半減してしまう。ぜひ早く対応して欲しい。
とあるばあちゃんと携帯電話の話
すいません僕エスパーじゃないんですが…
先週の土曜、つまり子供の日の夜、駅前の西武の近くのベンチで夕飯を食べていたところ、一人のおばあさんが声をかけてきた。
「ここの席いいですかい?」
別に僕は使ってない席だったのでどうぞと言った。えらく茨城弁の強いそのばあちゃんは、「じゃましないからじゃましないから」と言いながら、ものすごい勢いで話しかけてきて、色々俺のことを聞いてきた。大学はどこか、一人暮らしか、出身はどこか…
そして僕が飯を食い終わるころには、話はばあちゃんのことになっていた。茨城の田舎の方から来たこと、親戚のこと、肺がんになったけど薬飲まなかったら勝手に治ったこと、甥がひばりが丘の駅前のビル二階で歯医者をやっていてその下がパン屋であること…個人情報保護法もびっくりのダダ漏れ具合である。
そしてかれこれ30分くらい話した中で分かったことは、
・そのばあちゃんは西武に買い物に来た。
・行きは娘さんの車で送ってもらった
・帰りも娘さんが車で迎えに来る
・しかしそのばあちゃんは携帯電話を持っておらず、待ってるのだがなかなか会えない
とのこと。
公衆電話もなさそうだし、ここで見捨ててはいそうですかさようならというわけにもいかない。
「携帯を貸しますよ」
ところがなんと迎えに来るはずの娘さんも携帯電話を持っていない。しかもそれだけではない。
「待ち合わせの場所と時間は…?」と聞くと、返ってきた答えは「それを忘れちゃったんだよ」さらに娘さん、今日まで西武に来たことがない。
驚愕。あり得ない。そんなもん会えるわけがない。僕の心の中はまさに「それなんてエスパー?」である。だがここまで来てしまったからには仕方が無い。30分も無駄に話を聞いた時点で米粒大しか残っていない自分の良心にかけて、ここは助けるしかない。
三菱の白?誰が探すの?僕ですよねそうですよね
どうも聞けば僕に会った時点で一時間以上さまよってたらしい。しかも買い物した荷物を抱えて。どれだけ元気なばあちゃんなんだと半ば感心しつつも、そりゃ娘さん諦めて帰ってるんじゃね?という気もよぎった。
それから後は大変である。夜8時を過ぎているため、西武は閉店しており館内アナウンスは使えない。しかもばあちゃんが勝手に色々動く。実家にかけて娘さんが帰ってないかどうか確認したり、「駐車場を探す」とか言って勝手にライトオンの店員に絡むし、店長さんは出てくるし。バスで土浦まで行くとか言い出すし。ばあちゃん、80歳超えてるならもうちっとそれなりに静かにしてて下さい…
結局電話で確認したところ、娘さんはまだ実家に帰っていなかったので、単身バスで帰るのはちとマズイ。残された方法は迎えに来ているであろう娘さんの車を探すこと。でもどうやって?
…もちろん僕が走るしかないわけで。さすがにノーヒントでは辛いので、ばあちゃんに色々聞いていくうち、車が「三菱の白の乗用車」だということが分かった。そんなもんこの広い駅前にどれだけあるのか分からなかったが、探すしかない。セダンかワンボックスかステーションかとかは聞いても無駄だろうから聞かなかった。
後はもうひたすら脚で西武の周りにある白い車をあたって三菱かどうかを確認する。しかし根本的に三菱車種が全く見当たらない。夜、駅前でそこらの車に近づいては離れる僕。どうみても不審者です本当に(ry
そして十数台目でようやく三菱の白に行き当たった。が、ドライバーがいない。仕方が無いから引き返そうとするとドライバーが戻ってきた。娘さん(50歳代らしい)の年齢に近そうだし、何より顔が似てる!話しかけてみると…
ビンゴ!!!!
よーやく見つかった。夜の7時半に飯を食い始めて、この時点で9時近い。長い夜だった…
これで多分一生分の良心を使い切ったに違いない。あと今後僕が助けるとしたら、始業式の日に曲がり角でぶつかった転校生くらいなもんである。*1
ケータイ・ディバイド
ところで、本題はこっからだ。僕がこれで話したかったのは、お礼にもらった鱒寿司が無駄に高そうでやっぱりおいしかったことでもなく、ばあちゃんに携帯貸したら実家の人と20分も全く関係ないことを長々と話されたことでもなく、ばあちゃんが買いに来たのが商品券で、それが今度入院する病院へのいわゆる「袖の下」だったらしい(!)ことでもない。
携帯電話だ。ばあちゃんの話を統合すると、現在ばあちゃんの周りで暮らしている人の中で一番若いのが迎えに来た娘さん。そして彼女を含め誰も携帯を持っていない。
さらに後日僕の携帯にかかってきたばあちゃんからの電話は、見事に非通知設定だった。デフォルトがそうなってるのだろう。多分設定を変えれば直るのだろうけど、していない。なぜならばあちゃんの周りにはそれを指摘する人がいない。携帯電話を持ってる人が誰もいないから。
ばあちゃんの周りは、携帯電話を持っていないのみならず、そこにかけるということも含め、携帯という「文化」そのものが見事に欠落している。一番若いのが50歳代の娘さんということなので、そういうこともないことはないだろう。
だが果たしてそれで今後いいのか。道路や電車といった社会的インフラは今より便利になることはあれ、不便になることはないだろう。そして今後あのばあちゃんはしばらく長生きするだろう。遠出する機会もあろう。そのときに携帯無しで、今回のようなことがまたあったらどうするのだろう?
確かに20年前は携帯なんか無いに等しく、今でも必須とはいえないかもしれない。なければないなりの生活をすればいいのかもしれない。だが周りがこれだけ携帯電話を持っていることを前提とした生活に切り替わる中で、茨城の田舎に住む典型的な高齢化家族が、携帯電話から全く切り離された生活を送っているのは一種の「デジタルディバイド」ではないのか。
他の子供さんはみんな東京や千葉に出て行ってしまい、若い人が極端に少なくなった。結果デジタル関係の文化が一切ばあちゃんの周りには入ってこなくなった。多分こうした話は地方じゃちっとも珍しくないだろうし、思い起こせばうちの父方の祖父祖母も全くその通りである。
こうした「全く必須でないが、あると便利なもの」に関する最低限のラインというのはどう引くべきなのか。昔エアコンを生活保護の対象から外したら、うっかり猛暑で老人が死んじゃったという話があったらしいが、このご時勢日本で生きるのに最低限必要なものは大体ほぼ揃っている。ではそれ以外がぜいたく品かというとそうでもない。エアコンの例だって、見方を変えれば「エアコンがあれば老人を猛暑から救えた」ということが分かったことになる。
携帯の場合は別にそこまで重大ではないかもしれない。今回だって僕が助けなくても他の人が助けただろう。けどもっと人が少なくて電車もバスもあまり無いようなところだったら?季節が真冬だったら?
世の中がどんどん便利になるにつれ、それに乗る人と取り残される人との格差もどんどん開いていくのだなぁと感じた。それが高齢化・地方の過疎化による「情報の格差」によるものだとしたら、まさか行政が携帯を配れとは言わないが、是正する価値はある気がする。むしろそこらへん携帯会社にとってもビジネスチャンスだったりするような気もするのだが。
*1:もちろん僕は食パンをくわえている必要がある
しっかりしてくれドコモさん
いまさら?と思うかもしれませんがドコモネタで。
別にプッシュトークのコミュニティが炎上したとかはあんまり興味ないですが、現状のドコモについてひとつ苦言。
詳しいデータは分かりませんが、auに徐々に接近されつつあるドコモ。個人的にドコモのもっともダメっぽいところは、ずばり広告戦略。
auは仲間由紀恵を軸にして、バンドも組ませて、ガリガリ売ってます。マスコットの(本当は別に鹿のがあるらしいですが)リスモも加わり、これらを通して「音楽とケータイの融合」というひとつの「ストーリー」がしっかり見えるんです。
ところがどっこいドコモはどうか(『ど』で韻踏んでるんですよ!)
加藤愛、ドコモダケと、女優とマスコットを使ってはいるんですがさて何をしたのかがいまいち見えてこない。とりあえず女優に宣伝文句言わせて、マスコット前に出して、ちゃんちゃん。auみたいな「ストーリー」がないんですよ。
今までのケータイはスペック的にドコモが圧倒してきたので、それはそれで良かった。けどケータイの進化によってそろそろ積めるスペックも、種類的には手詰まり、あとは既存の能力をいか上げるかにかかってる。でもそういう細かいスペックの変化はそれだけじゃ武器になりにくい。分かりにくいから。だからデザインとか学割とか、より「分かりやすい」部分での競争に移行しつつあるんです。スペックの競争は五十歩百歩になりつつあり、今は「分かりやすさ」勝負。それをいつまでもスペックの売りにこだわる様な宣伝の仕方じゃきつい気がします。
かくいう俺は高一からのドコモユーザーです。だからこそこんなことを言うのですが。ちなみにドコモのCMで加藤愛とドコモダケが「CM権獲得競争」みたいので卓球やったり旗取ったりしてるじゃないですか。お前らそれドコモの中の人同士でやっちゃダメでしょうって話ですよ。やるなら加藤愛vs仲間由紀恵、ドコモダケvsリスモで勝負して、勝ったほうがCMやればいいんです。でないと面白くないと思うんですが、どうでしょう。
破産・・・
ケータイのiアプリで、「ゲームショップ物語」というのがありまして。
ゲームショップを運営し、資本を増やしていくシュミレーションです。
流行のジャンルの商品を重点的に仕入れたり、仕入れのタイミングもキーだったり、アーケードゲームを置いたりと、色々工夫のしがいがあります。
棚やアーケードゲームの維持費もちゃんとかかります。結構重いんだこれ。
景気の良し悪しにも左右されますし。
で。
その中で、株の購入というのがあります。
売って儲けるだけでなく、ゲーム会社の株を売買し、利益を得るというのがあり。
これがかなり面白い。
きちんと手数料取られるので、購入時の平均株価よりかなり上がったところで売らないと利益でないし。
ここが売り時!とか思って売るとそっからさらに劇的に上がったりしてマジ凹みしたり。
で。
この前、あるゲーム会社の株価が結構下がってて、底値っぽくてここは買いだろ!とか思って全力で株を購入したわけです。資金の大半をつぎ込んで。
そしたらその直後「景気が悪くなりました」のアナウンス。
え?
それってもしかして。
全力投球で購入した株、大暴落
さらに不況につき
客が激減
資金の大半を株式に変えてしまったので、客が減ると維持費が払えなくなる!!!
しかし株は大暴落したのでさらに売るに売れない!!!
でも維持費は強制的に払わされるので借金生活。
でも商品の仕入れは借金状態だと出来ないシステム。
みるみる増える借金、みるみる減っていく在庫。
最終的には在庫が0になり、借金だけが増えていく大惨事。
このゲーム、ゲームオーバーはないんですが実質的にゲームオーバーじゃないかこれ?