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ー読書日記ー#4−1 公共性の構造転換 第一章 ハーバーマス





■概観■

公共、という言葉が何を示すのか。公共性を学ぶ際、それは非常に根本的な問題であり、まず最初に定義されるべき問題であろう。だがえてして、この抽象的な言葉は始まりでもありまた、終わりでもある。何が公共性なのかを始めに問い、その答えが一冊の書物の終わりに示されるということも不思議ではない。
本書、特にその第一章では、中世の時代から語源を含めてその起源を探っていく。

 公共性という言葉は、古代中世の時代からその萌芽を見せていた。だが領主制の円熟期である中世には、公と対立すべき市民社会という概念が存在せず、公私の対立がみられなかった。そのように制度的な公共性ではなく、別の観点から公共性を探るとしたら、支配の公的表現という「表現的公共性」がある。国王が、その服装や態度で持ってその地位を示そうとするとき、彼は地位の高さという不可視のものを可視にする。彼はその地位を人々の前で表現する。そしてそこに公共性が出来る。
 資本主義経済の出現によって、この手の表現的公共性は衰退する。一方で、公共性の担い手たる市民社会が、「新聞」というネットワークを通じて形成される。資本主義経済において重要な情報の交換のために作られたこのネットワークは、いつしか国家が目をつけるところとなり、官報の発布のためにも使用された。しかし国家がこの新聞の上で国家批判などをすることを禁じる。そしてこれは、新聞というネットワークの中で行われる議論が、公=国家と対立する公共性を作り出していることを浮き彫りにした。


・・・たぶんコレじゃぜんぜん説明不足なんだろうけど、こんくらいにしかまとまりません・・・