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Reisaehreさんへの返答

さて、本題について何ですが、Reisaehreさんのご意見をまとめると

1,客観的な領域である「代替可能」なものを、主観的な領域である「代替不可能」なもので拒否できないのではないか

2,代替可能性に気づく原因それ自体が、自分の価値観と言う代替不可能なものに立脚しているため、代替可能なものの例に階層化は不適切ではないか。

以上の二点とお見受けしました。

1番目の質問について。
「土俵が違う」とのことですが、その通りです。まさに「土俵を変えている」のです。拒否・抵抗というのは言葉が良くなかったかも知れません。たとえば映画なら、「Aという観点のもとに僕は面白かったと思う」という意見に対し、「Bという観点もある」「Cという観点もある」「いやいやDという観点も・・・」という、ほおっておいたら延々と続く代替のループから「降りる」ため、「いや、感動したんだよ」と代替不可能な主観的意見で土俵を変えてしまうのです。
主観的な領域で抵抗せず、客観的な領域で抵抗した場合、それも結局「代替可能性」の枠の中で抵抗しているに過ぎません。これも人々が代替可能性の氾濫に無意識に気づき、無意識に抵抗を試みて代替不可能性を求めている、という仮説が成り立てばの話ですが。
なので、議論から逃げるようで悪いのですが、1番目の意見に対する僕の返答は「出来る・出来ないの問題ではなくする・しないの問題である」ということになります。

で、2番目の意見について。
んん、わりと納得できました。代替可能性に気づくことで代替不可能なものを作り出すのに、その気づきの原因が代替不可能なものだと、「鶏が先か卵が先か」なループを形成しますね。
キーとなるのは、「価値観が代替不可能なもの」だという前提にあると思います。これについてはまた後ほど述べていきたいと思います。

階層化について。
僕もそう思います。というか、今述べられている階層化というのはその分化のことではないでしょうか。水平方向に分化された層の間の断絶がとりだたされているのだと。だから今の階層化という言葉に垂直方向の価値観は含まれ体なのではないでしょうか。