読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

絶倫ファクトリー

生産性が高い

ヴィクティムフォビア

日韓問題


「ユダヤ人と韓国人は被害者面して利益を得るのがうまい」

ところが、まったく別の場所ではこんなコメントも見つけた。

「ユダヤ人と日本人は被害者面して利益を得るのがうまい」

なんだか歴史認識の話を持ち出すと、相反するコメントのように見える。だがこの二つに共通するのは、「被害者が被害者として表立って行動することへの反発心」である。こうした「被害者嫌悪」とも言うべき現象は、日本という社会の中では常にあったのかもしれない。だが僕が記憶している中で特に顕著になったのは、イラクで活動家三人が拉致され、一応無事に解放されたものの「3バカ」などと揶揄され非難されたときのことだ。あの時は「自己責任」などというそれこそどこのバカが言い出したのか分からないような日本語まで出てきて、この国もいよいよ末期かと思ったが、今考えれば現状の方がよっぽど悪いのであれは末期ではなかったらしい。

話がそれた。
歴史認識うんぬんの話は抜きにしても、上記のコメントで言えばユダヤ人はホロコーストの被害者であり、韓国人も日本人も第二次世界大戦という大枠で言えば被害者であることに間違いはない。ところが、たとえばユダヤ人ならホロコーストの反省に立った、極右をなるべく排除しようという方向性、また韓国で言えば戦時中の被害に対する賠償請求、日本で言うなら広島・長崎を中心とした原爆への反対運動。こうした活動が時に、「自分たちの利益を追求する目的で行われている」という風に見えるらしい。これは同和対策の団体についても同じことが言える。

こうした「被害者の活動=利益目的」といった暴論ともいうべきすり替えは、もしかしたら日本には昔からあったのかもしれない。けれどそれが世論として、はっきり目に見える形になってきたのはわりと最近のように思える。ではそれはいつからなのか?

僕が思うにそれはやはり9.11テロ以降ではないか。というのも、現在の大半の世代は戦争を知らない。もちろん映画なり写真なりで二次的・間接的に接触したことはあるだろうが、リアルタイムで目にしたことはない。それは長く続いた冷戦構造の中で、またその構造が崩れたあとも、アメリカの庇護の下で成立しえた時間だった。
ではそのアメリカは?確かにベトナム戦争では撤退したものの、事実上の、つまりイデオロギー的な敗北であって、アメリカ本土が焼け落とされたわけではない。あくまで現地からの撤退である。

ところが9.11で状況は一変した。空を穿つがごとくそびえたつWTCのビルに、飛行機が立て続けに突っ込み、ビルは崩れた。国防総省も焼けた。まさにアメリカは戦場となった。そしてテレビを通して流れ続ける、煙と炎と死者にまみれたアメリカは、まさに「被害者」であり、敗者であった。

その後、その「被害者」はどうなったか?「愛国心」を振りかざし、ブッシュを支持しないものは、対テロ戦争に組しないものは非国民。アフガン、イランにも侵攻し、ゲリラ的なテロ組織と泥沼の争いを繰り広げている。愛国心を振りかざし始めた初期の時点で、日本人はあれあれと思ったはずである。「被害者」から一変、言論の自由はどこへやら、一丸となってマイノリティーを排除する国になってしまった。これはおかしい。被害者なんてこんなもんなのか。話が違うぞ、と。

このように、久々に間近で見た「リアルな被害者」がするすると変貌し、ある意味で裏切っていくのを見て、日本人の中に大きな「被害者嫌悪」のような感覚が出来上がってきた。もちろんその前提には、長い間日本人が実態的に形作ってきた「加害者」を兼ねた被害者としての精神的なあり方が横たわっているのだと思います。そのあり方とアメリカの変貌した姿はあまりにも違い、そのギャップから、「被害者嫌悪」が発生した。つまるところ日本人はいまだに世界大戦に由来する「加害者兼被害者」という構図の精神性から脱却し切れていないということでしょう。そうであるならば、韓国人やユダヤ人の「被害者としての行動」に向かって「まだ被害者面してるのか」などと非難を加えることはできない。そう言う日本の精神的構造も、いまだ戦後の状況からは脱却できていないという点で韓国なりユダヤなりと一緒だからです。