絶倫ファクトリー

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返答

前々回のエントリについてコメント欄でのやりとりが窮屈になってきたので、新しくエントリ立ててしまいます。

順番が違うんですが、最初に「みんなの意見は案外正しい」について。
nyaroはみんな=他者と置き換えてるんですが、個人的にはこれだけだと不十分だと思う。元記事のリンクから飛べば分かるとおり、このフレーズはwikiに代表されるような「集合知」の話をするときに出てくるフレーズで、特定の個人/事物(そして大概それは権威付けられている)よりも、普通の人の意見の集合の方があってる場合も多いって話だと思うのだ。
ここでキーになるのは、みんなってのが単なる他者じゃなくて集合体としての他者、つまりより多数派としての他者だと思うのですよ。元記事にも

無数のコメントを全体的にとらえて1つの総意を汲み取り

結局ここでも「無数の」「全体的」「総意」など、そこに書かれてるのが一つの総意としてまとめられるほど、数が多く同質的な意見が述べられてるってことを表してると思うのですよ。
それを踏まえた上でさらにみんな=他者とするならば、それは逆に数が多くないと他者として認識しないという方向性を持つと思うんだけど。

ちなみに俺が何で無条件に「みんなの意見は案外正しい」のみんなをマジョリティと読んだかと言うと、このフレーズを最初に見たのが「web進化論」で、やっぱりwikiの説明に使われてたのを見たからなのだ。そこでは文脈としてマジョリティの意見は案外正しいんだ、という使われ方をしていたので、そのままこの場合も読み込んでしまったのだ。そこんとこ説明不足でごめなんなさい。
ただリンク元飛ぶと、あながちそれでも間違っちゃなさそうな気もするんだが、どうだろう。

で、次。「空気読め」について。

空気読めがマジョリティ礼賛マイノリティ排除かどうかは、確かに俺コードかもしれません。一応コメント欄で説明はしたつもりなんだけど。

ところがその返しで「原文を読解するときは、原文に使われている単語がどのような意味・意図で作者によって使われているか予測すべきだ」というやっぱりnyaroコードちっくな定義を持ち出すのもどうなのかなと。
ちなみにコメント欄でnyaroは空気読めの意味を二つに分けていたけど、それも個人的には分ける必要なくて同じことじゃないかなと考えてます。

1・書くものごとについてある程度以上の知識を持っていること(2chでいう過去ログ嫁、的なことがら
2・人間どうしの関わりでわざわざ人の腹を立たせるようなことは言わないこと(これは当然か? 空気ってかコミュニケーションの暗黙の了解コード

これって1が2に含意されると思うんだが。コミュニケーションの暗黙の了解コードに1は含まれてると思う。そしてどうもこの書き方だと1の場合コミュニケーションが発生しないような感じにも受け取れるんだけど、ブログという、ブロガー・コメンテータ双方がコミュニケーションを取れる場の話をしているので、基本的に1をやったら炎上するし2をやっても炎上する。円状という偏ったコミュニケーションが発生することに変わりないと思う。
2chも結局コミュニケーションの場だと考えれば、1の例に出てるような過去ログ嫁ってのは、2でいうわざわざ人の腹を立てるようなことするなっていう意味にも取れるんだよね。

ところでこれだとnyaroの「空気読め」の定義づけが複数出てくるんだけど、どれを採用すれば良いのだろうか?一応「前述コメント欄」てのは上記の2つの意味をさすと思うので、この二つを採用させてもらいます。ただ今言ったとおりこれは1が2に含意されるんじゃなかろうかという僕の仮定が挟まってるんで、ちょっと留意してください。

(そう考えると、nyaroの言うとおり元記事でwikiの話を出してくるのはちょっと見当違いだとも思う。wikiの双方向性とブログの双方向性って中身が違うし。だからwikiの話から「空気読め」の定義を引っ張ってくるのは難しい。)

で、nyaroのいう「コミュニケーションの暗黙の了解コード」という記述はシンプルかつ的を得ていると思う。けどそれがコード足りえてるのは、やっぱりその場にいる人間の中で多数の人間がそれを共有できてるからじゃないだろうか。でないとコミュニケーションにならないし。

「上司が駄洒落を言っても一応笑っておかなきゃならない」という約束事を、職場にいる多くの人が持っていたとする。これはその場の暗黙の了解コードになってる。で、実際上司が駄洒落を言った時、みんな笑ってるのに一人「それ全然笑えないっす」とか突っ込んだ奴は、「空気読め」って言われちゃうんだよね。これはつまりそいつがコードを知らない、マイノリティだったから。

ところがその上司が職場で徹底的に嫌われてて、「こいつが何か駄洒落言ってもみんな無視」的な了解コードがあったとする。ここで上司が駄洒落を言って、一人笑ってしまったらそれはそれで「空気読め」って言われちゃう。結局中身がどんなコードにせよ、それが多数派でないと意味をなさない。逆に多数派にさえなれば、それがどんな中身のコードでも「空気読め」の一言でマイノリティを攻撃できる。

結局これは、「コミュニケーションにおける、多数派の約束事=コード」という図式を表してると思うのだ。そしてそのコードこそ「空気」であり、それを読めというのはすなわち多数派のコードに従えということなんだろう。こういう理由からマジョリティ礼賛、マイノリティ排除という言葉を出したんだけど、説明不足でした。申し訳ない。