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絶倫ファクトリー

生産性が高い

5年

日常を綴る

んー・・・もう五年も経つんですね。


中3ですか。今でも覚えてます。
たまたま付いていたNHKのニュースの画面。煙を上げるビルに、さらに一機の飛行機が突っ込むあの場面。
ニュースを偽った映画かと思いました。

あれから随分世界は変わりました。
本当にあのテロのせいで変わったのか、以前から変わり続けていたのがただ見えるようになったのか。それは分かりませんが、とにかく今見返せば様々なことがテロの影響を受けています。


将来、自分達の子供が使う歴史の教科書に、あの出来事はどう記述されるのか。
今からそんなことを考えてしまいます。

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で、唐突に思いついたんで流れをぶった切って今更感に満ちた話をしますが。
徳山高専で起きた殺人事件の犯人、藤村でしたか。彼の実名報道について。

世間では、自殺体で発見された日のテレビ局の反応が別れたことに注目がいってますが、もう一つ注目すべきなのはやはり週刊新潮がその日発売の最新号で実名と顔写真を出していたことなんですよね。
テレビ局は、「自殺体で発見されたことにより、少年法の精神である保護・公正の機会が失われた」として「後出し」の形で実名報道しましたが(法相は家族のことを理由に問題がある、と言ってましたが、成年の犯罪者にも家族いるっちゃいるんですがね)、新潮は実は「先出し」なんですよね。発売当日昼に自殺体で発見されて、テレビも報道し始めたのでほとんど意味なくなっちいましたが。

ここで注目すべきなのは、「実名報道の意味」ですね。犯罪者を実名報道する意義としては、刑事罰でも民事における処分でもなく、「社会的処罰」としての機能があると思います。(逮捕の時点ではまだ有罪とは決まっていませんが)
裁判を通じて受ける処罰のみならず、家族や学校や会社等、自分の所属している集団から一定の処罰を受けるでしょう。

ただですね、犯罪者に対する「処罰権」−そういう言葉があるとしたらーは、近代以降、個人の手を離れ国家の手にゆだねられています。この意味では、実名報道による社会的処罰は例外的に民間人に与えられた限定的な処罰権です。

しかしここで「限定的」と書いたとおり、20歳未満の人間については実名報道されないというルールが前提です。新潮の例は、このルールを破るものです。

新潮はこの20歳未満の報道についてのルールに異議があるのでしょう。ただここで一つ言いたいのは、「ルールを変えるためにルールを破るのはナンセンスだ」ということです。たとえあるルールが間違っていたとしても、それを変えることを訴えるためにそのルールを破るのは違うんじゃないか。あくまでルールはルールの範囲内で変更されるべきではないか、ということです。「悪法も法」と言う言葉がありますが、この言葉はそういうことを言いたいんじゃないでしょうか。
だから20歳未満の実名報道禁止について異議があるのなら、それを破るのではなくルールの範囲内、つまり別の法律によって明示された、法律の改正ステップを経た変更を訴えるべきでしょう。

というかですね、「ルールを変えるためにルールを破る」みたいなことを民間の、しかもマスメディアがやってたりすると、何かの拍子に国が、しかも比にならないデカイ規模で同じことをやろうとした時に相手を叩けませんよ。