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絶倫ファクトリー

生産性が高い

「ファッション雑誌」という物語

本日は趣旨を変えて、なぜZUNEの茶色はこんなにもダサいのかをお送りしようと思いましたが、「マイクロソフトだから」の一言で片付くということが分かり急遽予定を変更します。んー、凶箱といい、だめですねぇ。

しかし社会言語学面白いですね。最初は、一般言語学やりたかったので「ツマンネ」とか思ったんですが、意外や意外。エスノメソドロジーも、個人的にはロジックばりばりの社会学のが好みだったので期待してなかったんですが面白いし。

今回は女性ファッション誌の分析やりました。普段女性誌なんか見もしないであろう第一学群の野郎共(僕含む)の反応がこれまた「空気読めてな」くて面白かったです。

今日やったのは、ある決まった服を30日間着まわすためのコーディネート術!みたいな記事なんですが、単にポイントを決めるんじゃなくて、「大人キレイ系」と「フェミかわいい系」の二種類の登場人物を用意して、それぞれ勤めてる業種とか彼氏がいるとかいないとか設定を決めてあるんですね。コーディネートした服装の写真にも「明日のケーキ、どれにしよっかなぁ」「いよいよプレゼン、よしがんばるぞっ」とかタイトル振ってあったり、説明のコメントも「仕事もがんばってるし、もうすぐ誕生日だし自分への投資もいいよね。洋服を脱いだり着たりするのが楽なデニムスタイルで行ってきまーす」等々、セリフ口調なんです。
ところが、「CHECK!」と振ってある、着回しのポイント解説は、「無地のコートをはおりましょう」「まるでスカートのように使えます」等々、結構説明口調。ここで思ったのが、前述のセリフ口調的な部分を「会話文」とすると、この説明口調な部分は「地の文」にあたり、つまり小説的な「物語構造」を強く読み込んだ作りになってるんじゃないでしょうか。二人のモデルに最初からある程度細かい設定を与えてあるのも、そういう要素を支えてます。この物語の観客に読者を引き込むことで、説得力を与えてるのではないか。女性誌に限らず、男性誌でもこうした構造は見られるんでしょうが。

そうすると問題なのが、「会話文」にあたるセリフ口調な部分は、じゃ一体誰と話してるんだということになります。出てくるモデルは二人ですが、二人が実際に会話をしてる描写は出てきません。それどころかほとんどのコメントが上に書いたような「モノローグ」としか見えないようなものばかりです。となると、会話(モノローグ)の相手は「読者自身」ということになります。面白いですよね。「物語構造」の読者であったはずの人間が、同時に会話の中に引き込まれ、物語の参加者となる。舞台の演技を見ていた観客が同時に役者でもある。「劇場型」の変形バージョンです。

劇場型で思い出したんですが、近々任期を終える小泉首相のやり方もこんな感じでしたよね。彼のセリフはシンプルでわかりやすく、かつ「モノローグ」的です。それを見ている国民は、自分はただ「小泉劇場」の観客に過ぎないと思っていたのでしょうが、去年の9.11総選挙ではものの見事に参加者に祭り上げられていました。観客だと思ってみていたら、いつの間にか役者だった。まぁ、気づいたときにはもう遅かったんですが。雑誌はそういう気苦労なく役者の側になれるので、いいですけど。