絶倫ファクトリー

生産性が高い

新語シンドローム

生活習慣病という言葉が生まれたとき、それまで使われていた成人病の「大人しかかからない」的なニュアンスを消すという名目があったし、それはある程度功を奏した気がする。
ところが「生活」「習慣」という軽い言葉が入ってきたことにより、生活習慣病は文字通り日常生活の中に埋没してしまった。生活習慣のせいでかかるのなら、生活習慣を変えさえすれば何とかなる。別段恐ろしいことではない。みんながみんなそう考えたわけではないだろうが、とにかく言葉の持つ「重さ」は失せてしまった。
それで困ったのはマスメディアである。マスメディアは言葉を消費する。常にトレンドの言葉を見つけ、時に作り出し、日々の仕事のネタにする。生活習慣病が生活習慣の中に完全に埋没したとき、マスメディアは人々の生活習慣に健康という切り口から入り込むための入り口を失った。そこでメタボリックシンドロームの登場である。カタカナにすることで「わけのわからなさ」という重さを言葉に持たせることが出来る。生活習慣の中にある危険性を、不安を、浮き立たせることができる。
こうしてメタボリックシンドロームは再びマスメディアが人々の日常生活に切り込む入り口となり、新しい消費の渦を生む。
健康食品メーカーから広告代理店まで、新しい言葉が出るとそこには新しい消費のラインが生まれるのだ。
逆に言えば、新しい消費を生み出すには新しい言葉を生み出す必要性がそこにはある。消費は言葉に依存している。まさしく「新語シンドローム」とでも言うべき現象。
問題は、言葉が変わるたびにさも概念もリセットされているかのような事態だ。成人病も生活習慣病もメタボリックシンドロームも中身は一緒だということを、それらの用語が使われている大きな文脈を捉えれば分かりそうなもんなのだが、気付かないということは消費者の側が脱文脈的だということだろう。