絶倫ファクトリー

生産性が高い

MC・エッシャーについてメモ(追記

◆「描く手」
・内部の矛盾による外部の示唆(←欺瞞???)
・非対称性(左のカフス)
・観察者=me→観察者=self(???)
・↑21世紀の問題、らしい

◆「昼と夜」
正則分割(これは完全な正則分割ではない)
・構成要素が分断の境目を作る
・古代ギリシャにおいて壁は「法」であった(アーレント
・二重性

エッシャーを考えるに当たり一つ議論が生じた。人間の物の見方は三次元的か二次元的かという話である。
僕は二次元的であるという考え方だ。僕らは物に奥行きがあるということを「知っている」だけだ。同じ人形を違う奥行きで並べ、どちらが奥にあるかと人に問う。ほとんどの人は小さく見えるほうを奥にあると答えるだろう。だがそれを触覚に頼らず証明せよと言うと、大体が答えに詰まるだろう。精密に縮小コピーされた人形が横に置いてある場合を何故捨て切れるのか。捨てきれまい。
エッシャーの騙し絵的な構図にしてもそうである。「滝」という作品において、滝から流れ落ちた水が水路をたどって再び滝の頂点から落ちる。人はこの絵を見たとき、一瞬どこがおかしいのか気付かない。考えて初めてこれがおかしいと気付く。気付くのだがそれは人が三次元的に絵を見てあり得ないと感じたわけではなく、そこに「重力」という知識を導入して初めて無理があることに気付く。(もしくは永久機関が存在しないという知識を導入して。)