絶倫ファクトリー

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電車の中で化粧=運賃一部未払い

先日友人がブログで「電車の中で化粧をする女性」について語っていた。最終的には「醜い」で友人が一蹴してたのにひそかに心の中で賛同してたりしたのだが、じゃあキレイなお姉さんだったらいいのかという問いに答えるにはどうすればいいのか。

公共の場と言う用語に対し定義は色々あるだろうが、電車の中が公共の場であるということに異論は出ないだろう。我々はこの電車という公共空間に入るに際し、3つのコストを払っている。
1つは運賃。金銭的コストである。2つ目は時間的コスト。移動するのには時間がかかる。
そして3つ目は「自由」である。我々は公共空間にいるとき、ルールなりマナーなりによって積極的自由を一部失っている。電車の中で化粧をする自由やむしゃむしゃと食べ物を食い漁る自由はここで停止される。我々はこの積極的自由の喪失をコストとして変換し支払うことで、他の2つのコストを引き下げている。電車一つを貸しきれば、化粧だろうが寝るのだろうが食事だろうが好き放題だが、莫大なコストがかかる。*1
電車の中で化粧をする、ということは、こうした自由のコストを払っていないことになる。端的に言えば「ずるい」のだ。文字通りのフリーライダーである。愛国心について書いたエントリでも似たようなことを述べたが*2、「みんなが我慢しているのにお前だけやってんのはずるい」ということだ。
これは「何故電車の中で化粧をしてはいけないのか」という問いに直接答えるものではない。「しちゃいけないと決まっているものを破ることがどのような意味を持つのか」という点を説明しているだけである。だからこれをどれだけとうとうと説いたところで開き直られたら終わりなのだが、それでも我々は(というか鉄道会社は)電車の中で化粧をする人間に対し、それがコストの未払いだということを述べた上で、「自由のコストを払わないなら、代わりにそれに見合うだけの金銭的コストを支払うべきだ」と迫ることが出来よう。それがどれだけの金額になるのかは分からないが。

*1:これは表面的に見れば単に経済的な理由に見えるが、金銭的コストを下げるのに集合が必要だという点を見れば、連関的かつ必然的である

*2:http://d.hatena.ne.jp/klov/20060701/1151686987