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絶倫ファクトリー

生産性が高い

「経済性」がやっぱり残す一抹の不安(上)

社会学

先日のエントリはコメント欄がえらい豪華なことになった。皆さんの議論がいい意味でエントリから外れてくれたおかげで、かなり面白く有益なコメント欄になった気がする。
せっかくなので以下コメント欄をまとめさせて頂く。勝手にエントリに載せるなゴルァ、俺はそんなこと言ってねぇ恣意的な編集すんじゃねぇゴルァ!等の意見がありましたらご連絡を。まぁ僕のブログ内のコメントだし編集と言っても引用だからそう問題はない、はず。

そもそも先日のエントリで僕は、「技術」が「モラル・ルール」等を「経済性」の観点から凌駕していると書いた。それに対しsakstyle氏が

もし仮にモラルなりなんなりを回復あるいは維持しなければならないのだとして、それを有効に実現させる方法は「理念」ではなく「経済」だと思います。
「こっちの行動の方がお得だよ」
っていうのが、一番実現性が高いんだろうな、と。
(中略)
話がずれてしまったような気もしますが、もう一点だけ付け加えておきますと
人々に「お得」だと思わせるためには、既存の貨幣価値体系以外のオルタナティブな価値体系が必要だと思っています。

と答えてくれたのが発端。

それに対しSuzuTamaki氏が

『「合理的な意見が最も強い」というのは、認めるのはとても怖いけれど、しかしどうしても的を得ていますね。
sakさんの言っていることが物凄く説得力を持ってしまう未来。
どうなんだろう。
どこかでまた方向転換できるのだろうか。
それとも合理主義って言うのは、どれだけポストモダンが叫ばれてももう根付いてしまって離れないのだろうか。科学主義みたいな感じで。少なくとも先進諸国の間では。

ついでに僕が

確かにちょっと怖いんですよね。経済性に経済性で答えるということは、有効であってもルールそのものが変質してしまったことを是認するわけですから。

二人とも「経済性」基づいた「得」がもたらすインセンティブが有効であることを認めつつ、その変質にやや怖さも感じると。
さらにmushimori氏が、監視カメラについて

しかし、例えば監視カメラの設置などを考えてみると、本当に効率や効用の面でメリットがあるのかというと非常に疑わしいところがあると思うんです。そこに入り込んでいる価値判断というのは「経済性」以外の別の要素だと思うんです。

と述べてくださった。これは監視カメラのみならず、「得」のインセンティブを用いる上で重要な議論な気がする。

で、その後sakstyle氏が僕やSuzutamaki氏が何に「怖さ」を感じているのかについて、一つの解答を見せてくれた。

「生活世界」が「システム(ここでいう「合理主義」)」に浸蝕されてしまう怖さを指していたんですね。

そうそう、少なくとも僕に関してはばっちりこれである。以下sakstyle氏による生活世界とシステムの説明、及び後者による前者の侵食がなされたときどうなるかの説明。

「生活世界」というのは「システム」を下支えしているといわれているものです。文字通り、人が日常生活を送っている世界のことで、そこでは「人格」が重視されます。つまり、例えば「システム」の中では営業課の課長として生きている人が、「優しいお父さん」として生きている世界のことです。
人は、そういう「生活世界」があるからこそ、「経済性」や「合理性」が追求される“非人間的な”「システム」の中でも生きていけることになっているわけですね。
わざわざ「生活世界」というタームを使ってしまいましたが、現在は「生活世界」が「システム」に浸蝕されている状況であるというのは、わざわざ説明しなくても分かってもらえると思います。
「経済性」には「経済性」を、っていうのをずっと繰り返していくと、いつのまにか「生活世界」が摩耗し消えていってしまうんでしょうね。

で彼のこの状況に対する立場は、

「生活世界」など現代日本ではとっくに摩耗してしまっているので、そんなものの心配なんかしても仕方ないんじゃないか
という立場です
そしてそういう立場にたつと、「子どもを見守る自警団」というのが実に気持ち悪いんですね。
とっくに摩耗した「生活世界」を、必死になって捏造しようとしているように見えてしまうわけです。
失ってしまった「生活世界」を捏造によって取り戻すことができるのか、
僕はその選択には懐疑的です。
じゃあどうすればいいのか。今のところ言えるのは、「システム」の中で生きていくことに馴れろ、ですね。』

といった感じ。以上コメント欄のまとめ。「下」の方で、これらの議論に対して改めて僕の立場を書かせていただきたいと思う。