絶倫ファクトリー

生産性が高い

言葉を「狩る」


番組ねつ造:「食行動は操作できる」放送作家がブログで

この際メディアの大衆コントロール力とかはどうでも良い。問題なのは「問題部分を削除」した点である。
産む機械」の発言のときもそうだったが、何か「問題」」とされる言説があると、それをひたすら謝ったり撤回したりして、無しにすることで解決しようという傾向がある。HPやブログといった形に残るような場所ではそれが顕著で、何かあると問題部分を削除して済まそうとする。
ただ「炎上」の話を知ってる人なら分かるとおり、炎上したブログに於いて問題となっているエントリや文章を消すことは得策ではないし、それ以前に問題部分を削除すればいいものというものではない。なぜなら、そこで発生してる課題・問題に対する解決策が単なる「言葉狩り」で終わって、コンテクストの検証がなされていないからだ。
今回の例で言えばこの放送作家が「日本人の)食行動について情報操作できるってことになる」点について、放送作家自身がそのことを理解したうえで番組を作っていたということ、何故そのような事態に至っているのかという本質的な議論がなされぬまま、言葉が消され問題が無かったことになる。
シニフィアンを消すことでシニフィエも消そうとする行為は、しかしラベリング論的な見当違いである。表層をいじったからといって深層の問題は何も変わらないし、かえって深層の問題を見えにくくし、意図して隠そうとしたのではないかという疑問すら生じさせる。文字通り言葉を狩れば解決するという発想は、売春を援助交際と言いかえる発想と変わらない。表層をいじることで深層にある問題を隠そうとする意図まで援助交際の例と一緒ではないかと勘ぐってしまう。