絶倫ファクトリー

生産性が高い

サークルから見た組織論

珍しくサークルのことについて書いてみる。
うちのサークルは、学内外を問わず他のサークル同様会長や部長、会計等々様々な役職があり、またそれらに対して決められた仕事が割り振られている。その内容は実に多岐で様々なのだが、僕が思うにこうしたサークルや同好会等の仕事は、その仕事を割り振られた人間が仕事をこなすことに固執しなくてはいいのではないか、つまり現在目の前にある仕事を割り振られた役職の人間が必ず遂行せねばならないという意識は時に捨てるべきではないか、と思う。
サークルや同好会といった非営利的・自発的な組織は、文字通りビジネスではない。その組織に参加しているからといって、またその組織の役職になっているからといって給与がもらえるわけでもなんでもない。行為に対する代償は利益ではなく、あくまでその組織内にあって、その組織が目指す目的の共有である。
だとするならば、組織における役職に割り振られた仕事というのは、あくまでも組織としての活動の一部であって、誰がその仕事をしたのか、という記名的な要素は必要ない。ビジネスならば、その仕事に関わった人間はそれに応じただけの給与なりを貰うので、なされた仕事に対する固有性は必要である。だが給与も何もない非営利的・自発的組織においては、そのような報酬はなく、なされた仕事はあくまで組織としての活動に集約される。個人としての働きは捨象され、あくまで組織レベルの活動にまで引き上げられる。
ならば、組織において各人が優先すべきなのは当然「組織としての行動の合理性」であって、個人の仕事の成果ではない。その組織として最も合理的であると思われる選択が、個人が取るべき選択肢である。本来はもちろん、その仕事が与えられた役職の人間がやるのが最も効率がいいのだが、時と場合によってはそうでない場合もある。個人的な都合でなんであれ、与えられた仕事を自分が合理的に処理できない状況にあると分かった場合、最も賢明なのはその仕事を即座に他の人間に任すことである。役職の概念に拘り、いつまでも処理できぬ仕事を抱えたままでは組織としては実に非合理的で、避けるべき事態を招く。そうなる前に自分の次に仕事を合理的に解決しうる人物を探し出し、任せてしまうほうが組織として理にかなっている。
そういう状況に限定するならば、己が役職に与えられた仕事を他人に肩代わりさせることも全く問題ないし、非難されることではない。これはもちろん短期的な視点であって、仕事の肩代わりが繰り返されるようならば、早急にその人物の役職を見直すか排除するかの対策をとらねば、やはり組織として非合理的であることは言うまでもない。



まぁそういうわけでいい加減うちの新歓係はどうにかしないとまずいのだが。