ついに…買っちゃった…
- 作者: ロバート・D.パットナム,Robert D. Putnam,柴内康文
- 出版社/メーカー: 柏書房
- 発売日: 2006/04
- メディア: 単行本
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一冊7000円超…迷っていたのだが結局買ってしまった。
買ったからには読まねばならない。ゼミで使うしね。
一章しか読んでないのだが、これまで知ってたような社会関係資本の知識はさておき、面白いと思ったのは「社会関係資本には「橋渡し型」と「結束型」がある」と言う点。この二つがあるのは知ってたのだが、単一の集団にあるネットワークがこの2つのカテゴリのどちらかにきっちり分けられるわけではない、と。
多くの集団はまず最初に「結束型」として現れる。黒人教会、女性団体、などなど。確かにそうした団体はそれぞれ黒人であること、女性であることを条件として結束する。そしてそうしたカテゴリに特有の利害についてネットワーク・信頼を深めていく。
しかし、一方でそうした「結束」した団体は、結束した条件以外のカテゴリを越えていく。黒人教会は貧富の差・社会階層の差を越え、性別の差も越えていく。女性団体は人種・社会階層のカテゴリを超越させる。こうして「結束」した団体は、その中で本来交わりあうことの無かった他人同士を「橋渡し」させる。
なので、社会関係資本において「結束型」と「橋渡し型」について語られるとき、それは「結束」の要素と「橋渡し」の要素、どちらがどれだけ多いのかという相対的な見方になる。
そしてこれは一見「結束型」に分類されるようなネットワークでも、また「橋渡し型」に分類されるネットワークでも、その逆の要素を含まないわけではない、ということを意味する。先の黒人教会や女性団体のほかに、インターネット上のネットワークもまたその類だろう。年齢や性別、国籍の差異すら「解放」し、様々な人々の間を「橋渡し」するネットワークに見えるが、パソコンにアクセスできる条件によってそれは限定される(日本だと年齢とかだろうか?)。
さらに「結束型」のネットワークがやや排他的な組織へと向かいがちなデメリットを持つことを考えると、どのネットワーク多かれ少なかれデメリットを持つ可能性がある、ということだ。
なかなか興味深い本である。ガリガリ読み進めていこう。