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絶倫ファクトリー

生産性が高い

「舞台装置」の持つ魔力

映画の感想

ALWAYS 三丁目の夕日 通常版 [DVD]

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どうせ下らないと思ってみてなかった「Always 三丁目の夕日」を見てしまった。授業で。案の定つまらない。

実際話自体はどこにでもあるような話で、これが大ヒットした理由はとにもかくにも「昭和30年代」という舞台装置の力だろう。キレーなまでに「昭和30年代」が本来持っていたproblemは全て捨象され、「温かさ」「人のつながり」が強調されていた。逆に言えば、この強大な舞台装置を取り除いて、1990年代に設定変えて同じ映画作ってもダメだったんだろうなぁ。
そして何よりびっくりしたのが、この映画を授業(教育社会学)で見た後の学生の反応!
「この時代は人の絆が温かかったんだなぁと思って、すごく感動しました」
おいおい、あんたねぇ、そんな反応するの中学生までですよ。しかも社会学の授業だぜ?普通に見て普通に感動してどうするの。時間を無駄にしたと思っていいですよそれは。

と、僕はこうしたテンプレートな反応に授業中業を煮やしていた。「昭和30年代」という舞台装置は、最初からプラスのイメージを持たせる力を持っており、さらにそうしたメディアに触れることで「古きよき時代」のイメージが再生産され続けるという循環を持っている。その再生産の場に思いっきり出くわしてしまったのだから、アンチノスタルジーな僕としてはかなり気分が悪かった。


ところがどっこい、この気分は後になって、自らひっくり返すことになる。


僕は「病いと死の社会学」、及び医療社会学の実習の一環として、柳田邦夫「『死の医学』への序章」という本を読んでいた。西川喜作という精神科の医者が、自らの身体を末期ガンに侵されながら、死に際した人間はかくあるべき、という「死の医学」の先駆者となって闘病記を書き出した不屈の人の記録である。彼は死の恐怖、とりわけ苦痛への恐怖に耐えながら、末期患者に対する看護の視点を新たに作り出し、それを書き留めることで、最終的に膨大な量の日記を残すのだが、そうして彼は残された人生の密度を限界まで高めることで、「自己実現」を果たそうとしていた。「自己実現」によって、揺らぐ「生の意味」を見出そうとしていたのだ。

その本を読んで、つくづく西川医師の「生の意味」に対する執着、そして実際にそれを形にする行動力、死への悟りと恐怖の間を揺れ動く心の機微に僕は感動していた。いや良い話だ。泣ける。


しかし「Always」の話を思い出して、ふと気付いた。「昭和30年代」という舞台装置の持つ力に魅入られる人に毒づいておきながら、自分もまた同じ罠に陥っているのではないか?自分もまた「末期ガン患者」という舞台装置に魅入られて、無批判に感動している者なのではないか?

実際、涙を拭いて冷静に読んでみると、というかあえて批判的に読んでみると、この「『死の医学』への序章」にも突っ込みどころはいくつもある。徹底した「自己実現」への賛美がなされる一方で、では「自己実現」が行えない人の生に意味はないのか?そしてこの本自体が「自己実現」を是とし、特定の「死に方」を知らず知らずのうちに強制する権力の再生産装置になっている可能性がある時点で、社会学的に読むならば多少なりとも懐疑的に読む必要があった。


ところが僕は全くそんな視点を持たず、最初から何も疑わずに読んできた。それは「Always」を見て「感動しました!」と言い切る学生と変わらない。用意された舞台装置が持つ「先入観」に抗えずに、その世界に侵入してしまったのだから。

幸い「『死の医学』への序章」は半分くらいしかまだ読んでないので、後はなるべく「社会学的な」視点を持って読まねばならない。危ない危ない。