絶倫ファクトリー

生産性が高い

踏み絵としての。

事前防衛型セーフティネット


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赤ちゃんポスト運用開始日当日、3歳の男児がポストに入れられていたことが発覚した。想定外の使用に困っているらしいが、とにかく男児が無事に育つことを祈る。

親が育てられない新生児を匿名で預かる熊本市の慈恵病院(蓮田太二理事長)の「赤ちゃんポスト」に10日預けられたのは3歳ぐらいの男児で、運用開始からわずか2〜3時間後だったことが分かった。ポストの保護対象は新生児を想定していたが、早くも「目的外」に利用された形で、当初からあった「安易な育児放棄を助長しかねない」との批判が再燃しそうだ。


赤ちゃんポストの設置・運用には是非がある。安部首相なんかは「基本的には親が育てるべきだ」として慎重論を唱えていたが、そりゃ当たり前である。ただそれはあくまで基本であり、理想論でしかない。理想がすべて現実になるなら警察も病院も要らない。赤ちゃんポストは、そんな基本から外れたイレギュラーを回収する、セーフティネットである。

議論になりそうなのは、そうしたセーフティネットとして、赤ちゃんポストが許容される範囲を逸脱していないか、という点にかかってくる。これまで育児放棄に関するセーフティネットとして機能してきたのは、地方の行政だった。ただそれも、プライバシーやら個人の自由やらに阻まれて、育児放棄を未然に防ぐというよりは、虐待が起きた後の事後処理的機能が目立っていた。「基本的には親が育てるべき」という原則論が「形だけ」守られた結果、多くの命が失われ、傷ついたのではないか。
一方で赤ちゃんポストは、育てられる前に、つまり形ばかりのしょうもない奴らに親になられる前に、育児放棄をしてもらって健全に育てようという、いわば究極の事前防衛策である。

「踏み絵」としての赤ちゃんポスト―誰がその権力を持ちうるのか?


こうした赤ちゃんポストの運用には、ひとつの意識が通呈している。
赤ちゃんポストに子供を入れるような親は、赤ちゃんポストが存在せず、自分で育てたとしてもろくな親ではない」
つまり赤ちゃんポストは、単に育児放棄容認の装置というより、「あなたはまともな親ですか?」と問いを発する「踏み絵」のような機能を持っている。

問題は、こうした「踏み絵」を行うべきなのは誰か、という点だ。慈恵病院は私立の病院であり、民間企業と言って差し支えない。「踏み絵」は、問いを発すると同時に、「まともな親であれば育てる/そうでなければポストに預ける」という二者択一を迫る。果たしてこうした一種の権力的な選択肢の提示を、民間の一企業に任せて良いのか。また逆に彼らの行動が万が一許容範囲を超えた場合、誰が制限するのか?

突拍子もないことだとは思うが、こうしたことを踏まえると、赤ちゃんポストは国立の機関が行うべきではないか。少なくとも現時点では、私立の病院が人の命に大きくかかわるような権力を持ちうる根拠が見当たらない。逆に言えば、一民間企業でしかない私立病院がこのようなサービスを始めざるを得ないほど、事態が逼迫しているということを、国は気づくべきだと思う。