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絶倫ファクトリー

生産性が高い

日本人とリセットボタン

テレビゲームについての言説で、日本で昔から良く言及されるのが「リセットボタン」である。曰く、テレビゲームをやっていると、都合の悪いことをリセットできるような感覚に陥ってしまいがちだ、と。これが事実がどうかは別として、海外においてはそういう話は聞いたことがない。テレビゲームに対する批判的言説は、性的・暴力的表現に対するものが海外の場合多い。


日本人は「リセットボタン」が嫌いなのだろうか?「転がる石に苔は生えない」という慣用句が、英語圏ではアクティブさを評価するプラスの意味なのに対し、日本語では一定のポジションに落ち着かない人を指すマイナスの意味になる。現状を「リセット」して次のフェイズに移行することを是としないらしい。


しかし良く考えてみると、近代の日本は二度ほど「リセット」を経験している。明治維新と敗戦である。逆に言えばこの二つくらいしか、「リセット」と呼べるほどリセットらしいボタンが発動したことはないように思われる。戦後も政治はほぼずっと自民党が握ってきたわけだし、もしあるとすれば元号の変更くらいか。ここで注目すべきなのは、これらいずれの「リセット」も、国民一般が望んで押したものとはいい難い、という点である。明治維新は強固なトップダウンの下で行われたし、敗戦なんぞは(負けたくて負けたわけもないのだから)外国の手によるものだ。


こうしたことを考えると、今の憲法改正の機運というのはなかなか興味深い。もし実際に政府が憲法改正に動き、国民投票で可決されれば、それこそ戦後60年続いてきた体制に対する「リセットボタン」を、初めて自分たちの手で押すことになるかもしれない。ただしRPGなんかでやったことある人は分かると思うが、うっかりセーブをし忘れてリセットボタンを押した後の絶望感は言葉に出来ないものがある。そんなことにはならないようにしてほしいものだが。