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「先入観は良くない」という先入観

先入観について

以下mixiで友人の日記に書いたコメントから。

昨日の「すぽると!」で、野村監督の言葉が中学校の教材に使われている、という話を見た。要約すると、野村監督の「先入観を持つことはいかん!」という話を中学生が聞かされて、「人を見た目で判断するのは先入観だし、良くないと思いました!」と洗脳されるという大変ほほえましい展開であった。じゃその「先入観は良くないという先入観」はどこに持っていけばいいのですか、そこらへんの犬にでも食わせておけばよござんすか!ということに当然なるわけで。あっというまにお手軽無限後退が出来上がるわけだ。このことは「先入観」という概念が、脊髄反射的な対応で解決し得ない問題であるということを意味している。


ちなみに僕は野村監督の生の言葉としての「先入観を持つことはいかん」というのは、別にそれ自体が先入観だとはちっとも思わない。監督は例として、オリックス時代まだ無名だった頃のイチローとそれをめぐるチーム首脳陣を挙げ、「振り子打法を直さない限り監督は使わないと言っている。あのめちゃめちゃな打ち方だからこそ彼は打てているのにね。普通じゃない=打てないという先入観がまさに働いている」と指摘している。こうした経験則に基づいた野村監督の言葉は、成功を生むための一つのセオリーとして有効であるかもしれない。
ただこれはプロスポーツという、一般社会から比べれば明らかに特殊な世界の話である。というのも、一般的な社会においては、先入観を用いることは、善悪の価値判断はさておき、効率的であることが多いからだ。人を見た目で判断するのも、外見が普通の人の方が、普通でない人よりまともな人が「多そう」だからである。もちろん例外はあるだろうが、逐一そんな例外に目を配っていたら非効率的である。就職活動や大学の入学試験などは、あんな面接やエントリーシート、ペーパーテストで人間性が100%計れるわけがない。しかし有象無象の人間の中から「使えそうな」やつを選ぶ方法としては、そうした「面接なりテストなりができる奴は仕事もできる」という先入観でもって判断するのが、効率的である。
ところがプロスポーツの世界は、100人の秀才を見分けるより、1人の天才を見つけることに重きが置かれる。効率云々のレベルではない。たとえ先入観なり固定概念なりに当てはまらない人間がいたとしても、1人の天才を見つけられるならそこにも注意を払う必要がある。


…とかいう文脈なり背景なりを全く考慮せず、中学生が単に「先入観はいかん!」を丸呑みするのはいかがなものかなぁと思った。もちろん番組を見ただけでは本当に丸呑みなのかどうかは分からないのだけれど。確かに中学生が、先入観を効率性でもって有用に出来るようなシチュエーションに遭うかというと、多分遭わないだろうから、あながち間違ってはいない気もするが。