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絶倫ファクトリー

生産性が高い

「ウェブ社会の思想」

「ウェブ社会の思想」というタイトルだけ見ると、「ウェブ進化論」の類のウェブ2.0的なウェブ未来論か、「計算不可能性を設計する」みたいなアーキテクチャーと社会学の接合みたいな内容に見える。
けれど、そうしたウェブのアーキテクチャー的側面についても述べる一方、アーキテクチャが担保する「記録」によって形成される自己が、今後アーキテクチャの支える環境の中でどのように生きるべきか/生きることができるのか、という自我論的な中身になっている。


著者の話では、情報化によって人々の「記憶」は「記録」に入れ替わり、次第に人々はおのおのが見つけ出した「事実」によって作られた、「セカイ」の中に閉じこもるようになる。それを打ち破るには、予定調和の中にない「他者」との関係性が必要である、と。しかしその関係性を作り出すような公共性はいったいどこにあるのか。
僕が納得いかないのはこの問いに対する鈴木の答えで、(僕の解釈が間違っていなければ)、肩透かしを食らったようで読んでる途中に「え!?」と声を上げてしまった。
鈴木は、その予定調和に無い他者との関係を作るフックを、持続的な「時間」に求めている。データベースからの「事実」の引き出しによって、いかなる「セカイ」が構築可能なフラットな社会になったとしても、それまで積み重ねてきた「時間」の持続性はかならず固有性を持っている、と。
まずこの持続的な時間がどうすりゃ関係性を作り出すフックになりうるのか疑問。というか、今のところそうした「時間」の差異をも(むしろそうした差異を積極的に)データベースが埋め合わせてるのではないか。確かにそれでは「時間によって生じた差異」は埋めれても、「時間」そのものの差異を埋めることは出来ないかもしれない。だが今データベースから「事実」を引き出して「セカイ」を作ることになっている人々に対し、どうやって「時間」の差異を見ろと言えるのか。
一度読んだだけでは精読できなかったので、もしかしたらどっかに答えが書いてあるのかもしれない。読んだことのある方、ぜひ教えて下さい。


と、まぁ文句はつけてしまったけれど、情報技術と民主主義のかかわり(工学的民主主義と数学的民主主義)など、硬めの思想のみならず、「シガテラ」「ヒミズ」「戯言シリーズ」といった文芸批評の要素も混じっていて、幅広い知識に触れることの出来るほんである。文体もわかりやすいので、読みやすい本である。