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絶倫ファクトリー

生産性が高い

中間組織型からマス・コントロールへ

選挙結果についての考察を、テレビ・新聞・ネットをさまよってちょこちょこと見てみた。

先生のブログから引用。

柏ウォーカー!: ・・・・・まだまだこんな風に生きてみた

……大半の有権者が、利益団体に組織化されていないことはもちろん、地域からの誰かからのつながり(左右/団体利害関係なく、知り合いの知り合いに頼まれたから投票する、みたいな投票行動)でアクセスできなくなってるんでしょうね。だから決まった投票行動をとらずに、その場の気分で投票するからパネェ振れ幅になる。
(中略)
でも、ホントのところ、こんなもの政策論争でもなんでもなくて、結局のところホント2〜3ヶ月スパンの声のでっかいところ(と、ごく一部ではそれを増幅させるネット上)の言説連関で決まっちゃうし、受かるも落ちるも候補者のあずかり知らない空気任せじゃ、国会議員なんか目指せたもんじゃないですね(笑) 地道な「政治活動」(つまりは選挙区での地味な顔出し)なんかしがいがないしさ。
まあ参院はもともと最も地域とは関係ない選挙なわけだけど、もっと遠大なスパンで言うと、地域代表を集める間接民主制っていうのも、もういい加減曲がり角なのかもしれない。……

つまるところ今回の参院選で分かったのは、選挙における中間組織の無力化。昔は、個人は労組だとか農業組合だとか、自治体だとか、宗教団体だとか、自分の所属する中間組織(=利益団体)の方針に従って投票することが多かった。それがその組織の利益になるし、そうすれば自分の利益にもなるだろうから。
ところが今の選挙は、そうした組織を吹っ飛ばし、個人が自らの判断で投票をする。ただ個人が「組織の利益」というものを通さずに、政策というマクロな視点を自分の利益というミクロな視点に引き込むのはどだい限界がある。そのため投票基準は結局「気分」的なものに落ちつく。「年金問題でごたごたしたから自民やーめた」「地方回ってくれたから小沢さんにしよう」とか。
こうなると、選挙の際に浮かび上がる構図は「空気で投票する有権者―その『空気』を何とかコントロールしようとする与野党」ということになる。要はマス・コントロールがうまいのはどこの党か、という話になってくる。このレベルで言えば、小泉さんは上手かったが安部さんは味方のエラーもあって失敗した、ということなのだろう。

この流れが良いのか悪いのか、という価値判断を下すのは難しい。話としては、国が上手いこと国民を釣れるか釣れないかというレベルに落ちてきている気がするからだ。かといって、従来型の中間組織経由の汚職あり談合ありな政治が良いのかというと、それもまた微妙。ある中間組織の利益が追求されても、それがほかの人間・組織の利益になるとは限らないし、むしろ害悪であると判断されたからそうしたやり方が糾弾されたわけで。

ちなみにmixiで出た話で、中間組織型の政治とマス・コントロール型の政治、どちらが政治家の力量を鍛えられるのか、については、「政治家」の定義にもよるだろうけれど、僕は消去法で前者かなと考えている。
というのも、後者は必ずしも政治家が活躍できるフィールドではなく、そこに必要なのは統計的な資料の分析と最大公約的な効果を発揮できる政策を提言できる人間だからだ。それは別に政治家ではなく、民間のコーディネータや学者であって良い。看板となる政治家はもちろん必要だが、ブレーンはその政治家である必要はない。

こうした現状に価値判断を加えるのは難しいけれど、ひとつ言えるのは今回の自民の惨敗は、このマス・コントロール型政治へのアンチではないということ、そして有権者はますますその「強度」を保つのが難しくなったということだ。以前だったら中間組織の利益が自分の利益だった。ところが今は自分の頭で考えて投票しても、それが大衆の「空気」と異なる意見だった場合、自分の票は死に票になり、声は届かない。流されること無く、しかし自分のためになる選挙。その両立が難しくなってるのではないか、と思う。