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絶倫ファクトリー

生産性が高い

権力主体の喪失―携帯電話を巡って

ケータイネタ

間が空いてしまった。八月はサークルとバイト、九月は延び延びにしてきた宿題をやっていた。(うちの大学は九月から授業)(成長しないな!)

先日、haruで繋がりのある方が、「仕事中、小学生の息子がつまらない用事で電話してきたので怒った」と言っていた。その後のやり取りなどを見て、つくづく時代は変ったんだなぁと思った。
僕が小さいころは、そもそも携帯電話が無かったのでつまらない用事で電話など出来なかった。電話番号が、家・職場と言った「場所」単位だったので、電話をかけることには希少性・手間があった。
携帯電話の氾濫は、すなわち電話番号の氾濫を意味する。電話番号が「個人」単位になったことで、電話をかけることの敷居は下がった。電話による個人へのアクセスビリティが上がったとも言える。

さて問題なのはここからで、アクセスビリティの上昇=環境の変化によって、それまで有効だった「規律」「ルール」がどう変化するのか/すべきなのか、ということが重要になってくる。携帯電話以前なら、仕事中に息子から電話がかかってきたら、何か大事が起きたのかと思うかもしれない。なのでそれを禁止するnormはそれなりに正当性がある。そして今回の場合、その方は「つまらないことで電話をかけてくると、仕事の邪魔だし電話を切ってしまうかもしれない。そうすると本当に大事なときに電話が通じなくなる」という理由で息子さんをしかっていた。ただ、携帯電話が通じなくなるのは、携帯電話以前の時代に戻るだけであり、携帯以前はもともと大事なときに電話が通じる保証はなかったのだ。

つまり、ここで起きているのは単なる個人へのアクセスビリティの上昇というより、アクセスビリティのコントロールが容易になった、という変化である。 電話をかけてほしくなかったら、かけるなというのではなく上の通り電源を「切って」しまえばいい。環境が規律を飲み込んでいるのだ。かろうじて有効なのは、上記のような「電源を切る/切らない」という環境の構築に対するorderである。それですら、そのorderを守るか否かはorderの制定者自身=携帯の使用者にゆだねられてしまう。

環境の変化が容易になるという変化。この変化を目の前にして、それ以前に有効だった「規律」「ルール」が音を立てて崩れている。携帯電話のみならず、ウェブ上のコミュニティ、オフラインの世界でもこうした現象は起きている。

先月、東京メトロの社員が知人女性の個人情報を端末から盗み出し、自分のブログに掲載したという事件が起きた。

http://megalodon.jp/?url=http://www.asahi.com/national/update/0818/TKY200708180259.html&date=20070819073408:参照記事(キャッシュです)


東京メトロ浅草駅に勤める男性社員(26)が、同駅の端末で勝手に利用客の個人情報を手に入れ、インターネット上の自身のブログで公開していたことが分かった。東京メトロは社員に詳しく事情を聴き、処分する方針。18日にはブログを閉鎖させた。

 同社などによると、社員は、勤務先の情報端末を使い、あらかじめ知っていた知人女性の名前と生年月日を検索して、記名式ICカード乗車券の購入時に登録する電話番号などを入手。その際に撮った端末画面のアップ写真数枚を8月16日付のブログに掲載していた。女性を中傷したととれる文言もあった。同社はほかにも個人情報を不正に入手していなかったか調べる。

 東京メトロやブログには、女性本人からを含めて多数の苦情が寄せられたが、本人はブログで「しかたないよ」と反論していた。

この事件は、犯人がブログ上で閲覧者からの批判に対し「仕方ない」という迷言を残したことでもちょっとした話題になった。この「仕方ないよ」という発言、知人女性が悪いんだ!という逆ギレなのか、それとも環境的に端末にアクセスできるんだからやっちゃうのも仕方ないよ、という開き直りなのか。真意は分からないが、いずれにせよ、こうした問題の解決策としてよく提示されるのは、情報にアクセスできる人間をより厳密にidentifyせよという話だ。規律訓練形権力の穴を、環境管理型権力で埋める。そして徐々に徐々に、「誰が権力を行使しているのか」が分からなくなる。環境に対するorderを出している人間は、アーキテクトとして環境の後ろに隠れている。
宮台真司ウェブ2.0の本質を「主体の消失」と定義したが、ウェブ上のみならずオフラインの世界でも、権力という主体は徐々に消失しつつあるのだ。そして携帯電話の例のように、環境の構築・設定に対するorderの発信者と受信者が同一になるとき、全てが「仕方ないよ」で進む世界が来る、のかもしれない。