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柏初上陸―「柏から考える」の感想

三日に、柏市で「東京から考える」の著者・北田暁大氏と、僕のゼミの五十嵐先生が「柏から考える」なる対談をやるとのことで、聞いてきた。
五十嵐先生は柏にずっと住んでいて、北田氏も柏在住だったことがあるらしい。そんなわけで、五十嵐先生と縁のある柏の商店や上野の方々30人くらいが集まっていた。タイトルが「柏から考える」とある通り、柏という街がこれからどのような街づくりをしていけば良いのかという軸を持ちつつも、柏の外の街、沼南町や上野、浅草、湘南などに話が飛んでおもしろかった。

対談の中身

話の中身としては、北田氏が東浩紀との対談の中で東氏の「ジャスコ的な風景はセキュリティ、バリアフリー的な点から見て望ましいじゃないか、何が悪いのか」という理論の強さにあらがえなかった、という話を踏まえた上で、実際北田氏が守りたいとしていた下北沢の街がセキュリティ、バリアフリーの観点から行政の理論に太刀打ちできず、負けてしまった事例を「失敗」とし、柏もそうした行政の理論に負けないような街づくりが出来るのか、と問う。
これに対し五十嵐先生は、元来リソースの少ない柏は、行政もわりと協力的で、バックアップは得やすいと答えている。*1そこで北田氏は、下北沢の別の理論的な弱さとして、「若者の街」という記号が強くなりすぎた結果、世代間闘争的なものに持ち込まれやすくなった、とのべる。さらに五十嵐先生は、世代のみならず、街が売っていくイメージの「ジャンル」間の闘争、またセキュリティの問題も発生すると述べた。
最後に北田氏は地元藤沢の失敗例を出した上で、街づくりにおける世代間継承性の重要性を指摘する。そしてそうしたサステイナブルな都市を作るには、地域の人々の間の社会関係資本が大事になってくるのではないか、と述べている。

対談としてはこんな感じで、その後はその場にいた人たちとの質疑応答のような形に入った。

浅草と上野―持てるものの発展

ここでいくつか僕が気になった点を。

北田氏は、活気がある街のパターンとして、浅草と上野を挙げた。両方とも一度活気を失いかけた街で、その後復活したという経緯があるが、その方法が対照的らしい。浅草は、雷門やお祭り、神輿といった、外から見た「浅草」という記号を内面化し、実際に街づくりに生かすという方法で成功した。一方で上野は、様々な国籍の外国人、そして国内からも様々なレイヤーの人が流入し、ごちゃまぜのカオスを形成することで活気を取り戻した。
両者のうち北田氏が最終的に有効だと考えているのは上野ので、浅草の「記号」的な街づくりは、実はジャスコ的、とは言わないまでも全国チェーンの資本に弱い。対して上野はそうしたものも飲み込んだ上で発展するため、最後に活気を維持するのは上野的なスタイルなのではないか、と。

僕は浅草も上野もほとんど知らない人間なのだが、こうした説明だけだと、浅草にしろ上野にしろ、元から持ってるリソースがある程度大きかったのではないか。料理の手法は違うけれど、手元の良い材料を上手に調理した感が両者に共通して感じられる。浅草の「記号」としての強さもそうだし、上野の「モザイク」的な街並みだって本当に最初から何もなければ外国人だって来なかったろうし、モザイクにならなかったろう。これらの例は、元からある程度の「磁力」を持った街が、その磁力をさらに強くしただけなのではないか?

湘南・茅ヶ崎―持たざるものの失敗

そして元々そんなにリソースを持たない街が、頑張って何かリソースを作ろう、「磁力」を生み出そうとすると痛い目にあうという例の一つが、北田氏の地元である湘南であり、その中でも最近顕著なのが僕の地元である茅ヶ崎市である。
藤沢、茅ヶ崎周辺の湘南地域は、80年代から今に至るまで「湘南」という記号を売り文句にしてきた。そして近年では茅ヶ崎市は「サザンオールスターズ」という記号も売り出し中である。しかし実際にあるのは普通の海岸と松林、えぼし岩、そして江ノ島(江ノ島は本当は茅ヶ崎じゃない)だけで、たいした「身」の有る記号ではなかった。
そうした空虚な記号が外部に発信される中、では一体最後に笑ったのは誰か?不動産屋である。いまや地元で最も「湘南」という言葉を見たり聞いたりするのは、店の名前でも人々の会話の中でもない。電車の中のマンション広告である。外部からの「湘南」という記号を内面化し、外に発信続けた結果、それは本当に「記号」でしかなく、その記号に吸い寄せられた人々が次々に立つ高層マンションに入り、地元住民と摩擦を起こしている。身の無い「記号」をカラ売りしたツケが回ってきたのだ。
現在、湘南地域、特に海沿いの土地は押しなべて地価が上昇している。23区に住めるじゃん!と北田氏も呆れていた。だがディベロッパー的な成功と、トータルで見たときの街づくりの成功は必ずしも一致しない。現に茅ヶ崎の人口は増え、地価は上がっているものの、街として活気ある街かといえば、別に変わっているわけではない。

そして柏へ―経済、文化の両立

茅ヶ崎の話から言えることは、まず経済資本による足固めの重要性だと思う。五十嵐先生は対談の中で、柏はリソースが少ないから、行政も協力的だと言っていた。茅ヶ崎市も、リソースの少なさゆえに「湘南」「茅ヶ崎」という記号を売り出すのに行政が協力的、というか積極的であった。しかしそのリソースの少なさゆえに、行政が裏切る可能性もあるのだ。茅ヶ崎市の例で言えば、高層マンションのラッシュ⇒地元住民との摩擦、というコンボは、市が頑張れば条例等で防げたはずだ。にもかかわらずそれをしなかったのは、そちらの方が経済的にプラスと見たからだろう。柏市も、文化的資本を積み上げたところで経済的に弱ければ、いつ行政が目先の利益に釣られてそれまでの努力をぶち壊しにする行動に出ないとも限らない。*2

では経済資本を積み上げりゃどんな文化でもOKなのかというと、下北沢の例があるように、そういうわけにもいかない。さらには下北沢が引っかかった「バリアフリー」「セキュリティ」の問題をクリアしたとしても、記号的文化の排他性の問題が残る。質疑応答の中で、「裏カシ」といわれていた古着店を中心とする文化が若干薄れ始め、最近はゴス系の人が出入りするようになった。古着よりゴスの方が対象となる世代が狭く、これは柏の記号化が進んでいる例じゃないか、という話が出たが、古着にもゴスにも興味が無い人間からすると、それは五十嵐先生の言葉にも出てきた「ジャンル」の違いに過ぎない気がする。あまり細かい「記号」を売りに出すと、それを許容できる人間が狭くなるし、地元の住民も乗り切れず、違和感を覚えることがある。実際下北沢に昔から住んでいたという人は、下北沢が「サブカル」的な街になっていくのに違和感を覚えたというし、僕も茅ヶ崎がサザンを前面にしていくのに違和感を覚えた。

巨大資本に負けないような根強い経済資本を持ちつつ、文化的に狭くなく、かつ「柏らしい」リソースの創出。
かなり難しいというか、それが出来れば誰だって苦労しないと言う感じもするけれど、今日のようなイベントを柏を愛する人々が開き、参加する熱意があれば、多分時間は相当かかると思うが、最後は成功するんじゃないかな、と思った。有意義で真剣な話が聞けて、非常に面白かった。

*1:実際、駅前のストリートミュージックなんかは柏市がバックアップしている面もあるらしい

*2:もちろん茅ヶ崎市と柏市では様々な点で規模が違うが