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Twitter始めました/都市とアイデンティティ

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都市に対するアイデンティティの種類―固有性について

9月のあるときからふとひっかかって、それがのどの奥に刺さった魚の骨のように、確実にしかしどこにそれがあるのか分からず引っかかり続けてきた問題意識があった。それが大学の都市社会学の授業と先日の「柏から考える」によって、少し明確になった気がする。「柏から考える」の前段で、北田氏が柏という街に対するアンヴィヴァレントな意識を語っていた。家族を持った人々には良い街だと思う反面、自分のような独り者のライフスタイルには少し合わないんじゃないかと。*1ところが、彼はその後引っ越す際に地元藤沢も視野に入れて住居を探していたことを話している。柏に付いては僕はよく分からないのだけれど、柏が家族向きなら藤沢も十分、というか下手すりゃそれ以上に家族向きの生活空間と言える。果たしてこの矛盾は何か?ここにある材料だけから推測すれば、柏がダメで藤沢がいい理由はひとつ。自分の生まれ育った地元だから。当たり前っちゃあ当たり前だが、ある都市の想定するライフスタイルに対する違和感を解消するものが、「地元」という固有性に帰着するというのは注目すべき点だと思う。地元の方が慣れているだけ、といえばそれまでなのかもしれないけれど、その「慣れ」は、自分の存在に対する周囲との文脈的ズレを解消しうるほど強烈だと考えれば、慣れも捨てたものではない。

そして、「地元」という生活時間の履歴によって作られたアイデンティティは、他の何によっても代替不可能な固有性である。翻って、それをある都市に対する肯定感の根拠とすることは、同じ様な生活時間の履歴を持たない人間を排除することにはならないか。下北沢再開発反対運動が失敗したのは、確かに行政の進める「安心と安全」のセキュリティ論の強さもあろう。しかし反対する側も、サブカル空間としての時間を知る人、それを知らない新参の人、サブカル都市になる以前から住んでいる人がいて、このうち反対運動に積極的だったのは前者ひとつだけだったようだ。つまりそこでの生活時間の履歴の違いが、そのまま立場の違いになってしまっていたのではないか。

こうしたことから考えると、都市に対するアイデンティティが必要となった時、また人々が都市に対してアイデンティティを持つことが必要となった時、その掛け金にすべきは生活時間の履歴に依拠するものではなく、もっと普遍的な要素を持つ何かであるべきだ。具体的には何かランドマークとなるもの、例えば有名な建物であったり、山や海であったりしてもいい。そしてそれは、その街に住む人だけでなく、外部の人にも魅力的に映るだろう。*2

*1:これは東京から考えるでも言っていた話

*2:そしてこういうことを考えると、一瞬、景観保護運動も良いと思ってしまう自分がいる