絶倫ファクトリー

生産性が高い

ケータイ小説と陰謀論て似てる気がする。

ケータイ小説について書こうとしたんだけど、だらだらの文章になったので「リアル」についての要点だけ書く。
ケータイ小説も陰謀論も、「隠された世界」の暴露によるカタルシスという図式において等価だと思う。

以下議論。

ケータイ小説の流行について、実際に読者である女性三人の声を聞いた「ダヴィンチ」2007年7月号の記事が以下のサイトに載っている。

活字中毒R。


彼女たちはケータイ小説の「リアル」「現実的」についてこう語る。

柳沢:うん、やっぱり「現実的」じゃないんだと思う。リアルかどうかって大事だよね?

一同:うん。

柳沢:出会い系とかレイプとか、ちょっとグロい現実の話が、もしかしたら近くであるのかもって思うところにリアリティがあるんだと思う。

柳沢:現実の恐い世界を覗き見た感じがしたよね。


そしてケータイ小説以外の小説についてはこう話す。

中島:私らにいわせると普通の小説家の人って、「今、起こっていること」が描けてないような気がするんだよね。『Deep Love』の場合は、友だちから拡がっていった感じだったし、最初からものすごく身近に感じられた。

「もしかしたら近くであるのかも」しれない「現実の恐い世界」を「今、起こっていること」が描かれたケータイ小説。これが彼女たちの「リアル」であり「現実的」な話なのだ。
この世界は日常の表層的な生活だけで出来ているのではない。その裏側には自分たちの知らない「恐い世界」が隠されている。その「隠された世界」を暴いてくれることで、世界の二重性を解き明かしてくれることによって、彼女たちの「現実」は補完されるのだ。
この「隠された世界」の暴露によるカタルシスという図式は、陰謀論の流行に似ている。陰謀論は事実であった例から完全に嘘っぱちのものまで数多く存在するが、多くの人々の支持を集めている陰謀論は、ある文脈の中では整合性を持つような「根拠」が示されおり、「世間ではこういうことになってるけど、『本当は』こうなんだぜ」という風に、「隠された世界」を暴露してくれる構図になっている。アポロ11号は月に行ったってことになってるけど、「本当は」行ってないんだ。911テロはアルカイダがやったことになってるけど、「本当は」主導したのはアメリカなんだ。こうした陰謀論は、その外に出て、他の理論やデータを持ち出せば往々にして否定できる。けれど人々はそんなことはしない。目の前に提示された理論が、その理論の文脈の中だけで整合性を持ち合わせていれば、「隠された世界」は暴露されたことになるし、世界は補完されるのである。よそから持ち込まれた理論やデータは、その世界の外の出来事でしかない。
近代とは再帰的な世界である。常に自分は自分について考え、世界は世界についての記述であふれている。そうした再帰的記述を通して、我々は世界が目の前の日常、自分が見たこと聞いたことだけで構成されているのではないということを「知っている」。だからこそ、「今、起こっていること」というのは、決して自分たちの身の回りで起きている事だけではなく、どこかに自分たちの知らない「世界」の断片が転がっているはずだ、と我々は考える。その「世界」を補完するための作業のひとつが、ケータイ小説であり、陰謀論であり、さらには「古き良き時代」の「リアル」を描く「Always 三丁目の夕日」なのだ。