読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

絶倫ファクトリー

生産性が高い

 法とか常識とか規範とか

法について

ちょっと前置き

今回もまたtwitterでの発言をサルベージ。ただし方法論としては

twitter を中心にした文章生成作法 - レジデント初期研修用資料(旧)

のやり方を参考にさせていただいてます。
ちなみに僕はtwitterの自分や他人の発言を切り出すのにはgoogle notebookを使ってます。google notebookにはそれらをgoogle docsにエクスポートする機能があるので便利です。結構自宅以外のPCも使うので、出来るだけオンライン上で作業が出来た方が都合が良いので。
そんなこんなで出来たのが以下の文章。テスト的な要素もあるので粗は勘弁してください。

常識とか道徳とか嫌いです

法は設定者と執行者が厳密に決まってて、その運用する権利が明白。でも常識とか道徳とかって、誰が決めて誰に執行する権利があるのかよくわからない。「それはあんたの常識でしょ。僕は知りません」って言われたとき、反論の仕様が無い。だから常識とか道徳とかって言葉は使うのを躊躇う。全ての常識なり道徳を法に置き換えるのが無理というのは分かる。けれどそれでも良くそうした曖昧な規範でもって世の中やってこれたなとも思う。
常識とか道徳とかって、要は文化の一部。文化って、「○○って××だよね」っていう共通認識の束だと思う。何がその共通認識の対象になるかは、そのコミュニティによってバラバラ。だから常識とか道徳とかも当然バラバラ。「これって常識でしょ?」っていうのは、「あんたはこのコミュニティに属してないわけ?」という問いに等しい。

規範は、ミクロレベルで見れば相互行為によって実体化する。規範の実行が規範の規範性を強化する。逆に言えばコミュニティに属する人がそれを規範と認識してそれに則った振る舞いをしなければ、規範は空疎な概念のまま宙ぶらりんになる。法律も、単に条文書いて国会通すだけでは意味が無い。警察権力という強制力があって初めて成り立つ。権力が法を実行し、規範を実体化させる。

人が規範を守るかどうか。それは守った場合のメリットと守らなかった場合のデメリットを天秤に掛けて、前者が後者を上回ったとき。つまり快と苦の功利計算が可能な状況でないといけない。法律は権力の存在によって、法へのアクセス権の平等性によってその計算可能性が成り立つ。
ところが常識とか道徳といったローカルルールは功利計算がしずらい。守った場合のメリット、守らなかった場合のデメリットが明瞭でない。人を殺したら「それはあんたの常識でしょ」じゃ通用しないが、夜中に大声で喋ってもそれがどこのエリアでダメでなぜダメなのか、そしてそうした規範を執行するのが誰なのか、破ったらどういったデメリットがあるのか、そうした情報が不明。周りがおんなじようなことする連中ばっかりだったら平気かもしれないし、家の周りがひたすら田んぼで迷惑掛ける相手もいないような場合なら特に問題ない。
もちろん、こうした曖昧さは規範に関する個人の裁量権を増やし、規範を明文化したり執行権力を用意するコストを縮減する利点もある。警察組織の維持にどれだけ金がかかってるかを想像すれば良い。

技術が常識や道徳を代替するという考え方もあるようだけど、それもちょっと違う。技術は確かに規範を生むきっかけにはなるけど、その技術を使用した相互行為がないと規範は実体化しない。あくまで技術は規範を作る相互行為の場を提供するに過ぎない。監視カメラは小心者の万引きを抑止する一方で、犯罪を犯すときは監視カメラの外に出ようという犯罪者側の新たな規範も生み出す。

僕は常識とか道徳とか「品格」とか、どこの誰にそれを持ち出す権利があるのか不明な概念は嫌いだ。だからその一部を技術的に補完することに反対はしない。けれどそれで全てが解決するわけではなく、新しい規範についての議論にレイヤーが移るということも理解しなきゃいけない。そうした議論に付き合う覚悟がある人間以外は、技術で規範を補完するなんていう手段は取るべきじゃない気がするんだけど、もはやそんな選択できないレベルにまで来てるのか。