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絶倫ファクトリー

生産性が高い

思想地図シンポジウム『公共性とエリート主義』

社会学 シンポの感想

雑感

昨日、新宿紀伊国屋サザンシアターで行われた思想地図シンポジウム『公共性とエリート主義』を見に行ってきた。今回のパネリスト?は宮台真司東浩紀北田暁大姜尚中鈴木謙介である。

詳しい内容については他で上がっているだろうし書籍になる(はず)なので書かない。自分の取ったメモの整理程度のことをするにとどめておく。

twitterにも書いたのだが、一言で表すとこのようになる。「子供(鈴木・東)にムキになって食って掛かる大人(宮台)をセクシーボイスで穏やかにまとめる素敵なおじ様(姜)。横で見ている青年(北田)」

まず初めに北田暁大の調査に基づいた問題提起と言うか基調講演のようなものがあり、その中で「前回のシンポジウムの問題意識を引き継いだ上で、公共性と個人とを結びつけるためのナショナリズムというものをどう考えていくか」という話がなされたのだが、その流れはその後一切汲み取られることなく議論は二転三転していった。今思えばここら辺がちょっともったいなかったかな、と思う。

姜尚中

このメンバーを見たとき姜は明らかに浮いているように見えたし、本人も冒頭で何喋れば良いの俺ということを言っていたのだが、振り返ってみると彼はゆがんだ方向に白熱した議論を冷ます冷却材になっていた気がする。

全体の論点としては、社会(公共性)に個人がコミットするためのモチベーションをどう作るのかそこにエリートはどう関わってくるのか?というのがメインであった。
その中で一番素朴だったのは姜だった。彼が抱くのは天皇を虚焦点とした結社型の個人、平たく言えばトクヴィル主義である。僕は姜の言説にほとんど触れたことが無いのでそれがどういうパフォーマティブな意味を持つのは分からないが、コンスタティブに見れば非常にスタンダードで分かりやすい意見だった。

宮台真司

もちろん、日本でトクヴィル主義的なものが全うに機能している(と思われている)ならばこのようなシンポジウムは開かれないわけで、姜が喋るたびに大きく頷いていた宮台はこれの亜種というか改良型トクヴィル主義、「第三の道」主義を前面に出していく。これは社会に個人がコミットするための動機付けに使えるリソースが、日本の場合は欧米に比べ極端に少ない。放っておけば社会はどんどん薄くなり、意味づけの弱いものになっていく。それは仕方が無い。「だからこそ」国家が社会の厚みを増すような手立てをする、社会が国家から自立できるよう、意味のあるものにしていくのが必要だ、というのが彼の話。正直今まで言ってたことそのまんまなので彼の話単体にそこまで新しさは無かったが、それに対する周囲の反応は興味深かった。

鈴木謙介

鈴木謙介トクヴィル主義的なものは日本には会社くらいしかなかった、それも今や失われている、としてそうしたものを否定。そして宮台にどうやって社会の厚みなんか増すんだ無理に決まってんだろと食って掛かるがブチキレられる。彼の疑問も最もだし宮台もそれにスマートに答えたわけではないのだが、ただ鈴木の発言機会の問題もあってあまり彼は宮台に対するオルタナティブを提示できてはいなかった気がする。

東浩紀

そういう点で東浩紀は面白かったな、と思う。彼は姜のようなトクヴィル主義でもなければ宮台のようなエリートによる第三の道政策でも無い。<セカイ>と<個人>の間に緩衝材を設けよう、ということは端から疑ってかかる。彼が固有名詞を宮台と同じくらいにバンバン放っていたので(そして僕は宮台の言説に関する知識よりも東の言説に関する知識がかなり少ない)ので細かい議論は思想地図の刊行を待つとして、大雑把なことを言えば彼は個別最適がそのまま全体最適になるようなシステムを作れ、という話をする。エリートによる公共性の立ち上げ、という図式を出(したと思われる)す宮台とは好対照を描いているように見える。ただもちろん宮台からは「そのシステム誰が作るの?エリートじゃない?」という突っ込みは当然入る。これに東がどう答えていたかはちょっと記憶にも記録にも残っていないので分からないのだが、あまり明確な答えは出ていなかった気がする。*1これもまた話としては以前から変わっていなかったのだが、彼が執拗に宮台と自分との差異を作ろうとしようとするのに対し、宮台は上手く東のロジックを自らの理論の中に抱合してしまおうという意図が見えたような気がする。深読みかもしれないが。ここら辺の掛け合いが面白く、またハラハラさせられた。結構宮台は東にマジギレしてたのではないかと思ったが、終わった後二人で笑ってたのでまぁ何だかんだんでプロレスだよなぁとは思った。

北田暁大

もしこれがプロレスだとしたら、可哀相なのは勝った奴でも負けた奴でもなくリングに上がれなかった奴である。北田は後半宮台vs東・鈴木の対立に全く入り込めず、最後の方に「皆エリートと大衆のことしか見て無いけど中間層が結構居るんじゃないか、そこら辺をどう扱うのかが重要なんじゃないか」という至極真っ当でかなり大事そうな話をして終わってしまった。これかなり個人的には膨らませて欲しかったのだけれど、面子的にはあまり膨らませづらかったのかもしれない。

とりあえず宮台と東がバンバン固有名詞を出して一応オマケ程度に解説が入るのだが、細かい議論は追えてなかった部分が多い。トクヴィル/ギデンズ/サイバーあずまん、この三項の対立がはっきりしたという印象が強かった。

*1:ただもちろんそれが国家の人間である必要はない、ということを東は言うだろう。事実鈴木謙介Googleの例を出していた