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西成区暴動と社会関係資本

社会学 格差社会問題

最近脊髄反射でコメントしたりエントリ書いたりすることが多い。いやだなと思う反面自分の興味を惹く話題が多いのだなぁと思う。そしておそらくそれは社会が悪くなっている傾向なんだろう。社会学で社会を語る奴が出てきたら、その社会は悪い状態にある。

社会関係資本の負の側面

ページが見つかりません - MSN産経ニュース

はてブ界隈で話題になっているこの記事、最近の西成暴動を巡る記事である。いかにも最近の「産経臭」のする煽り記事なので真偽の程は分からないし、かなりフィルタを外しながら見なければならないのだけれど、敢えて釣られてみる。

記事の出だしはこうだ。

日本最大の日雇い労働者の街、大阪市西成区のあいりん地区で13日夕に始まった労働者らによる騒動は、西成署への抗議活動の中心だった釜ケ崎地域合同労働組合(釜合労)委員長の稲垣浩容疑者(64)が18日に道交法違反容疑で逮捕され、一気に収束した。5夜にわたって西成署の前で街宣車を使って抗議し、労働者をあおり続けた稲垣容疑者とはどんな人物なのか−。

そして記事はこう続く。

稲垣容疑者は昭和56年の釜合労結成当初から委員長を務めている。日雇い労働者への炊き出し、労働や医療相談などを行い、「先生」と呼ぶ労働者もいるという。警察や大阪市に過激な抗議活動を行うことでも知られている。

今回の騒動では、稲垣容疑者が夕方に西成署の前に街宣車を横付けし、拡声器を使って抗議を開始。「集まれ、集まれ」と労働者を集結させ、「署長が出てきて謝れ」「警察も土方してみろ」「シェルターに泊まってみい」「労働者を差別するな」と連呼した。

そして締めとしてこのような「府警の言葉」を紹介している。

「労働者の側に立つ自分をアピールして、活動へのカンパを集めやすくしているのではないか。稲垣容疑者自身、一戸建ての住宅に住み、高級車に乗っていることをどれだけの労働者が知っているのだろうか」。

記事の書き手としては、稲垣は単なる煽り屋であり、自分はブルジョワな暮らしをしている、労働者の仲間なんかではないという府警の主張をなぞりたいのだろう。確かに労働者というクラスタの中では家持ち車持ちという事実は「スティグマ」になるかもしれない。いかにも警察的な発想である。はてなブックマークコメントでもこの言葉はわりとフィーチャーされていた。

けれどこのこと、「扇動者」が全く労働者とは異なる階層にいるというのが事実であるいことは、決して労働者にとってマイナスではない。ごく普通に考えて、炊き出される側―労働者―が炊き出しを出来るわけが無い。金がない人間に金がない人間はそう救えない。

府警は完全に相手の姿を見間違えていると思う。「にわか」で集まってきた人々はともかく、普段から彼の周りにいる人は彼の生活水準を知っているだろうと思う。だからこそ、彼の周りにいるのだろう。
府警が相手にしていたのは、単なる労働者の塊ではない。これまでの報道を見ると、彼らが相手にしてきたものの中心にあるのは、社会関係資本ソーシャル・キャピタル)によって繋がった緩い組織体だろう。社会関係資本とは、ある人間の集合の中で一定の規範が共有され、人々の間にネットワークが存在し、さらに相互の信頼が成り立っているとき、それは組織として個人に大きなフィードバックをもたらすという、社会学の概念である。
そこには相互扶助の精神が立ち上がり、持つものから持たざるものへモノ・金・情報が流れる。この人に何かすれば何か見返りが望めるだろう、という特定の互酬性ではなく、自分が人助けすればいつか他の誰かが自分にもそうしてくれるかもしれない、自分が何かすることでそうすることが一般的な規範となり、いつか自分にもメリットがあるかもしれない。「情けは人のためならず」的な状態がうまく機能している状態である。

暴動が深刻化する以前は、記事にもあるように炊き出しをしたり世話をしたりとこの界隈における「持つもの」として、モノや情報を「持たざるもの」へと流してきたのだと思う。彼にとってそれが何のメリットになっていたのかは分からないが、社会関係資本の担い手として、そのコアにいたのでは、と記事からは伺える。

しかし社会関係資本にもマイナス面がある。負の外部性が存在する。その最たる例としてよく挙がるのがギャンググループである。彼らの中では任侠的な規範・信頼・ネットワークが存在し、成員間をモノ・金・情報が流れる。だがそれは完全に組織の外部を排除した、違法行為に拠って得たモノ・金・情報が流れる空間でもある。社会関係資本は時に組織を排他的な傾向へと向かわせる。

さらに言えば、社会関係資本の理想はフラットな一般互酬性の機能した状態なので、組織における「コア」が存在するのは必ずしも良いとは限らない。ギャングの例にしても、彼らの中にはリーダーを中心としたヒエラルキーが存在し、上層部が規範の運用やネットワークの運用を担っている。そのため排他的で外部不経済的な要素を周りが取り除けない。薄く広い関係が横長に繋がるのが理想形態である。強く強固な関係が縦長に繋がるのは、社会関係資本の負の側面を引き出しやすい。

これで問題は「収束」したのか?

記事を見るとどうも大阪府警が相手にしていたのは、稲垣容疑者をコアとした、規範・信頼・ネットワークで繋がった緩い組織体なのではないかと思う。そしてそれがこのような事態に至ってしまったというのは、まさに社会関係資本の負の側面が出てしまったのではないのか。稲垣容疑者への信頼と、その周りの人間のネットワーク、そして彼の行動に乗ってしまう規範が、最悪の形に働いてしまった。

だとするならば、府警は、というかこの国はヘッドを捕まえて労働者を解散させるだけでは問題を解決できない。単なる群集のアノミー化であれば集合を個に散らすことでヒステリー的状況を抑えることが出来るかもしれないが、社会関係資本に基づいた緩い組織体はそれだけでは崩れないし、また完全に崩すのもまずい。今回は警察との全面衝突と言う最悪の形で社会関係資本の側面が露呈したかもしれないが、普段はそれによってメリットを享受していた人間もいるだろうからだ。相互扶助の関係性が崩れたとき、最も困るのは持たざるものである。

とはいえ、まさか彼らの全ての持つ状況をいっぺんに変える手段があるわけでもない。短いスパンの話で言えば、社会関係資本の「暴走」を防ぐには、排他性を減らすのが遠回りな近道なのではないかと思う。考えてみれば何故稲垣容疑者のような人間が「先生」なるポジションになり得たのか?それは他の人間がこの地区の人間にコミットしなかったからだ。少なくとも彼らの「規範・信頼・ネットワーク」に加われるほどの深入りをした人間はいなかったのだろう。西成地区の暴動について書いたエントリで、労働者のバックには「ヤクザと新左翼同和利権者と宗教とが複雑と入り乱れた、信用出来ない連中」が付いていると書いた人間がいた。彼はそう記述することで労働者を貶めたかったのだろうが、逆である。たとえそういう人間が労働者のバックにいたとして、それはそういう人間しか彼らに近寄らなかったということの証左である*1。もし彼らの社会関係資本に入り込むことが出来る外部の人間がいれば、それは稲垣容疑者のような人間をカシラにしたタテの排他的な組織体ではなく、横のつながりを持った、排他性の少ないものになったかもしれない。もちろん、今も以前もそうした活動をしている人はいるしそうした人を僕は知っているけれど、しかし全体の規模に対して人数的にも社会の理解としても圧倒的に少ないのだと思う。

何より気持ち悪いと思うのは、冒頭の記事が稲垣容疑者の逮捕で問題が「一気に収束した。」と書いてしまうような、リーダー捕まえてクモの子を散らせば問題は解決するというイージーな発想とそのような発想が出来る神経だ。この地区は労働者の高齢化やその他の複合的な問題を抱えている。それは恐らく周囲の空間とここが長い間断絶していることの証ではなかろうか。無関心は、短期的にも長期的にも彼らを嬲る最大の凶器なのではないかと思った。

追記:ちなみに僕はこの件について「警察の暴力性」とかを批判するのはナイーブだと思っている。確かに警察の対応は横暴だが、それが警察というものだ。騒ぎがある(と思えば)彼らはその圧倒的な力で介入する。それが警察の本来の姿であり、暴力の独占装置としての原理でもある。そしてその非対称性を指摘しても批判にはなりこそすれ力を持たなかったのはこの国の左翼が証明してきた。大事なのは彼らが介入するようなきっかけを作らないことだ。

*1:ちなみにまさかそのような人間しか本当に労働者を支援していない、という訳はない。偏見である。