読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

絶倫ファクトリー

生産性が高い

情報の複雑化と望まれる「マスメディア」

メディア論

仰るとおりで。……といいたいけれど、事態はそれほど容易なレベルではなくなっている。「それはどのような経路で伝えられてきたのか」「なぜ伝えられてきたのか」といったメタ情報が必要になるということ、それはマスメディアによって伝えられる情報の一意性が疑義にかけられ、その正当性を担保する審級が既に失われていることを意味する。そしてオブジェクトレベルの情報の真偽を決定する審級が喪失している以上、メタレベルの情報の真偽を決定する審級ももはや一つには定められない。地球温暖化に関する論争などその典型例である。温暖化の証拠とその反証といわれる有象無象の「一次情報」が飛び交い、それを取り扱う「専門家」「識者」の言説がまた飛び交い、その言説についての言説もまた世に溢れている。

そしてあまりにメタレベルの情報の重要性「だけ」を喧伝すると、今度はたちまち陰謀論者がニヤニヤ笑いと共に舞台の袖からやってくる。あくまで現実の一部を切り取り判断するためのものであったはずの情報が逆に「現実」としてせり出し、価値の転倒が起こる。

ネットの情報を鵜呑みにすればメディア・リテラシーが高くなると思いこんでいる(そんな奴がほんとにいるのかどうかも分からないが)輩は、このメタレベルの情報をオブジェクトレベルにまで引き下げ、それを「本当の現実」として振り回している。ただそれも仕方が無いといえば仕方が無いことで、上記のように既にマスメディアが流すオブジェクトレベルの情報にせよそれについてのメタレベルの情報にせよ、真偽を決定する審級が一つに定まらなくなっている以上、こうした情報の転倒や、果てしなきメタレベルの議論(いわゆる「空中戦」)に突入するのは避けがたい。今たまたま読み返していた『UFOとポストモダン』の著者、木原善彦の言葉を借りれば「『個人的価値観』に基づいて各人が自分の好きな『現実』を選び取っている」状態が、社会の一部とはいえあるのは事実だ。

無論このような「情報戦」に普通の人々が耐えられるわけもない。ここでメディア・リテラシーの王道としては複数ソースの掛け合わせで蓋然性を上げる、となるのだろうが、個人的には短いスパンで見ると結構悲観的である。20年30年掛けてそうした教育をしていけばそれなりに大多数の人間が「啓蒙」されるだろうが、その時には既に情報の伝達システムが全然別のパラダイムにシフトしているとしたら。20年前と現在の違いを見れば、あながち一笑に付せる話でもないかもしれない。

となると、少なくとも短期的には「分かりやすさ」ゲームがどんどん広がっていくのだろう(現に今はそのモードだと思う)。メタ/オブジェクトを問わず情報がフラットにかつ大量に提示されている現在、望まれるのは人々の欲望にマッチし、かつ複雑な情報をお手軽簡単にまとめてくれるメディアだろう。大多数の人間の情報処理能力は20年前と大して変わっていない。しかし情報は無数に溢れている。とするとそれは必然的にマス志向のメディアになる。インターネットが普及してなお「〜のまとめ」「やるおで学ぶ〜」が人気を得るのも、結局そういうことなのだ。(ありがちな陰謀論も、ある種の人々に取っては「正しく」「分かりやすい」情報なのだ。)

マスメディアはダメだダメだといわれているが、複雑化した情報のハブ、という枠組みで考えればむしろ「マスメディア的なもの」は今後一層強く望まれるものだと思う。結局のところ見せる人間が見る人間の欲望を先取りし、見る人間がそれに応えるという共犯関係が不滅である以上、変わるのは媒体とその時々の旬のネタだけな気もする。