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「シノドスシンポ 1968+40 全共闘もシラケも知らない若者たちへ」

社会学

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1968 年、世界中の大学で紛争の波が巻きおこった。日本でも既存の左翼を批判して学生たちが立ちあがり、〈自由〉を求めて警官隊と激しい攻防戦を繰り広げた。あれから40年。あの体験は何をもたらしたのか。また、その記憶は、これからの我々にとって何になりうるのか。多様な切り口でこの問題を論じてきた、幅広い世代の論者たちと、東大闘争の内部を目撃した唯一の写真家、渡辺眸のスライドショーが届ける、新しい「1968年」。
基調講演/渡邊一民 司会/芹沢一也 荻上チキ
パネリスト/絓秀実 酒井隆史 橋本努 鈴木謙介
写真協力/渡辺眸

日時:2008年9月23日(祝) 開場13:30 開演14:00
場所:立教大学池袋キャンパス11号館地下AB01教室
定員:500名(入場無料)

に行ってきた。1968・全共闘というテーマを日本でやるのは珍しい。
このテーマだと、同じ世代の人間を集めて昔話、というのが手っ取り早そうなのだが、世代で見ると出演者は1932年生まれから1981年生まれまで、実に多様である。まず話がかみ合うのかどうか心配だったのだが、かなり面白いものとなった。

14時過ぎに始まり、終わったのが18時。休憩含めても4時間弱。かなり長いので、ダラダラと時系列順に叙述するのも辛いので、例によって各講演者ごとに話を書くことにさせていただく。

渡邊一民―基調講演

1932年生まれ。立教大名誉教授。フーコーの紹介者として日本では知られる。

1968年という年を個人的な体験を踏まえた総括。
詳細な中身はフランス五月革命の仔細な話になるのでここでは書かないが、1968年の世界的運動の波は、それまでの左翼運動とは一線を画す、ということをベースに述べていた。68年以前の左翼運動は、結局のところ権力奪取のヘゲモニー闘争に還元されてしまい、形骸化していた。そこでそうした権力奪取のプログラムを拒否し、徹底した議論と直接民主主義を求め、運動の中心を作らない、組織ではなく集合としての運動を行っていた。それは以前の権力闘争に走った左翼の「過ち」に過敏とも言えるくらいに配慮した結果であった、と。しかし当然組織によらない運動は持続力に欠け、五月革命をはじめとする68年の運動の波は短命に終わった。日本では70年の万国博覧会で完全にその勢いは鎮火する。

良くも悪くも「総括」という感じで、「全共闘もシラケも知らない世代」には確かに「お勉強」になる話であった。ただし全体の調子としては「古い」感じは否めなかった。後に芹沢氏が「思い出話」と揶揄するような内容であるように思えた。

「学生が騒いでくれないと、大学がよくならない。最近は冗談じゃなくそう思います。」

この一言に半世紀の隔たりを感じた。

絓秀実

1949年生まれ。近畿大学教授。文芸評論家。

1968年の全共闘運動と、68年安保運動の違いをベースに話していた。68年の全共闘運動は、系統化し、大学の統治警察となりはて「ポツダム自治会」と揶揄された大学の自治会を、全共闘が否定する、という運動だった。
絓氏のセミナー(α-SYNODOS vol.6に掲載)と基本的な流れは一緒。60年安保をドレフェス事件に例える。ドレフェス事件は世論を「共和制:王政」「民主:独裁」に二分した。しかしここで示された「民主、共和制」というのは、結局のところいわゆるボナパルティズムであり、ブルジョワの専制に他ならなかった。「共和制:王政」「民主:独裁」の二択への不信によって、68年の革命的左翼が誕生する土壌が出来た、述べていた。
またフランスの思想家、シャルル・ペギーを引いていた。共和制の神秘的要素に引かれた彼は、最終的に神秘主義に飛んでしまうのだが、60年安保はそのような神話性を持っていた、と。

またこの後何度か出てくる「サンディカリズム」に彼は否定的だった。68年の全共闘は「党を消しすぎた」として、労働者の自立的な運動よりは組織による牽引を評価しているようだった。

橋本努

1967年生まれ。北海道大学大学院准教授。社会哲学者。

丸山眞男を実際に「ひっぱた」き、「ゲバルト・ローザ」と呼ばれた女性、柏崎千枝子の話から入る。全共闘運動の担い手達は、「純粋な良心」に基づき、徹底した自己否定や時に英雄的な死に憧れていた。組織の提示するきっちりしたビジョンではなく、「とりあえず」的な否定と、個を滅して全体へ一体化する「溶解志向」にとらわれていた、と。
面白かったのが、彼は学生に以前から「自己否定度チェック」なるものをやらせているらしい。どこの新左翼だ!と思わず突っ込んでしまった。それによると、最近の学生は自己肯定度が高いらしい。ただそれは「本当の自分」を現在の自己の中に求めるのか外に求めるのかの違いであり、本質的な自己という欺瞞に惹かれるている点では『68年」の若者と大して変わらないのでは、と思った。

鈴木謙介

1972年生まれ。GLOCOM研究員。社会学者。

「68年」の学生たちは、それこそ赤木氏のように既得権益層を「ひっぱたきたい」と感じていた。だがいまやそのひっぱたかれる側、既得権益の側がヘタレ化しており、かつてあったような「ラディカルな批判」はわら人形たたきになっている。むしろそうしたモグラ叩きでしかない「ラディカルな批判」に対する批判として、「設計主義」が台頭していることにも敏感になるべきだ、と述べていた。また前述の「溶解志向」についても、個を滅して全体に没入すると言う点ではいわゆる「やりがいの搾取」と同じ構図であり、結局のところ体制に組み込まれていることには変わらない、とも指摘していた。
その後酒井氏とのコメントのやりとりの中で、「中流とは何か」という問いが出た。うまくメモが取れていなかったので性格ではないかもしれないが、鈴木氏はヨーロッパと日本の期待されているリソースの違いについて述べていた。西ヨーロッパは福祉国家であり、国家がリソースを配分していた。日本は企業型福祉であり、企業が手厚い保護を個人に行っていた。その結果「中流」がもたらすイメージが、いわゆる正社員的な「社会人」になっていった、と答えていた。

酒井隆史

1965年生まれ。大阪府立大学准教授。社会思想学者。

今年の夏にあった韓国のいわゆる「キャンドル・デモ」の話から入った。キャンドル・デモはインターネットを通じて広まり、特に主催者はいないらしい。突発的に起こる、集合的な運動のようだった。彼の話に拠ればデモを通じておっさんと女子中高生が仲良くしていたらしい。日本でもやるべきだと思った。
また彼らは街に散らばる監視装置を逆転させて、むしろ警察の動きを監視していたらしい。また道路や広場でも、普通ならデモ隊を警察が取り囲む、という図なのだが、キャンドル・デモはデモが警察を取り囲んでいたらしい。こうした運動は突発的に起こっているように見えるが、そこには歴史的に「潜在性」が通呈している、と述べていた。
また既存の権力への批判、という文脈には、大きく分けて二つあり、一つは自立・自由の追求といった「美学的批判」。もう一つは平等やセキュリティの追求といった「社会的批判」。これらは本来次第にくっついていくものだったのだが、「68年」以降、美学的批判だけが取り入れられた。自由と平等がトレードオフである。
また彼はいわゆる「サンディカリズム労働組合の自立)」と「オートノミー(個人の自立)」は両立できると述べていた。つまり組織を通じた平等の獲得と、個人の自立は相反しないというものだった。ただこれはあまり具体的なイメージがあまりわかなかった。

ディスカッション

各自の発表が行われた後、ディスカッションが始まった。逐一記すとやはり長くなる(現時点で既に長い)ので、かいつまんで。

・鈴木氏や酒井氏がアナーキズムサンディカリズムの話をしていると、突然絓氏がベーシック・インカム(以下BI)の話を出す。
「BIは政府に頼んでやってもらうってことでしょう。でも単一国家でやっても、世界同時的にやらないと現状だと意味無いんじゃないのか。BIあるとポスドクの人がいい論文書けます、とか言われてもそんなん読みたくないし。」
これに対し少なくとも僕のメモだと酒井氏は「サンディカリズムとオートノミーの両立は出来る」を繰り返しているだけだった。鈴木氏が一応、「要はBIやるつっても議会通さなきゃいけないわけで、それは68年的な左翼のやるこっちゃないし出来ない話でしょ、ということですよね」とまとめてくれたのだが、絓氏の後半の言葉にちょっと引きづられて論点が定まらず。質問自体は、パフォーマティブにはおそらく絓氏のアイロニーだったのだろうが、コンスタティブには上手く答える人が居なかったように思う。

・軽めの話を、ということで会場からの質問。
「なんで今の日本の学生や労働者は運動を起こさないのか」
酒井氏にマイクが回るが、「いやいやいやいや」となぜか答えようとしない。どうも彼はアドリブに弱いのか。最終的には「江戸時代に帰ってもいいじゃないか」と言い出す始末。
橋本氏が一応、「社会全体のパイが縮小している今、運動を起こして未来に希望を見出すより、下のやつらを叩いて溜飲を下げる方が流行りやすい」とサポート。鈴木氏も、「インターネットとか見てると案外若い人が運動をしている。対象となる既得権益がちょっと変わっただけで」と言う。

ゼロアカ、藤田氏が会場質問。
ロマン主義的なアナーキズムというのは、結局既に地位や所得のある人たちの遊戯なのではないか」
これに絓氏は「そうだよ。ロマン主義魅力的でしょ結構」と開き直ってしまう。絓氏は全体を通してかなり皮肉を利かせて話しているので、字義通りには取れないのだが、かなり面白かった。
また鈴木氏も「物質的な変化を経由して批判的に乗り越えていく」と言った趣旨の回答をしていた。ここで誰かの著書を引いていたような気がするのだが、メモが上手く取れなかった。誰か覚えている方いたらコメントお願いします。

全体的な感想

各自の話は「シノドスシンポ」なだけあってシノドスに掲載されたインタビューや論文から外れない文脈のものが多かったように思う。それでもディスカッションやコメントの応酬は刺激的だった。
役回りとしては、司会が切り出し、酒井氏が詰まり、橋本氏がサポートし、鈴木氏がまとめ、絓氏が茶々を入れる、という感じだった。個人的には絓氏の突込みがアイロニカルで面白かった。
四時間は長いようで個人的には短かった。ただもう少しディスカッションの時間があると面白かったかもしれない。
こうした議論が、それこそ本当に「全共闘もシラケも知らない」僕らの世代に接続するのか。今後、この議論で出なかった論点も含めて考えていきたい。

9/25 23:50 追記:絓氏の発言についてメモからの写し間違いがあったので訂正しました。コメント欄参照。にし様ありがとうございました。