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建築夜学校2008 第二夜 「ショッピングモール」とローカル・シティ

下記のイベントを見に行ってきた。

http://www.kenchiku.co.jp/event/detail.php?id=767

建築夜楽校2008「グローバル社会における「建築的思考」の可能性」
■第2夜:「ショッピングモール」とローカル・シティ

概 要 市場化と技術依存が進んだ「工学主義」的状況で生まれた郊外型の商業施設やタワーマンション等、従来の建築デザイン論にとって周縁であった領域で生まれつつある建築を取り上げ、パネルディスカッション形式で議論することを通じて、グローバル化する社会における建築の新たな可能性を描くことを目的とします。
パネリスト 中村竜治(建築家・中村竜治建築設計事務所主宰)
岩佐明彦(建築計画学者・新潟大学准教授)
芝田義治(建築家・久米設計設計本部建築設計部主査)
関谷和則(建築家・竹中工務店東京本店設計部設計主任)
モデレーター 南後由和(社会学者・東京大学大学院学際情報学府助教)
藤村龍至(建築家・藤村龍至建築設計事務所代表・建築文化事業委員)
コメンテーター 若林幹夫(社会学者・早稲田大学教授)
日 時 2008年10月2日(木) 18:00〜20:30(開場17:30)
会 場 建築会館ホール(東京都港区芝5-26-20)
定 員 300名(当日先着順)
参加費 無料

ゼロアカ道場に向けて作成した同人誌の中で、このイベントのモデレータである藤村氏にインタビューした。その関係で興味を持ったので行ってみた(ちなみに引用先だと日付が2日になっているが本当は9日)。

2週連続のイベントで、今日はその2回目。テーマは「ショッピングモールとローカルシティ」。

前回がタワーマンション、今回がショッピングモールと、作家的な意味での「建築家」の仕事とは一見すると遠い。しかしそうしたものに対しても建築家がアクセスしていかないといけないのでは、という一種の危機意識のようなものがイベント一連の文脈にはこめられていると思う。
例によってこうした意識は東浩紀北田暁大の『東京から考える』や、宮台真司磯崎新の対談などで示唆された所謂「建築家不要論」的な言説に刺激を受けたものだ。こうした言説に対する建築業界からの回答の一つの形なのだろう。

「インドア郊外」現象

で、肝心のイベントなのだが、建築系のイベントだけあってかなり写真や固有名詞が飛び交い、全てメモすることは到底出来なかった。ので僕が個人的に興味を持った部分を、ピックアップしていく。第一部で各パネリストがプレゼン、二部でコメンテータを交えてディスカッションという流れになっている。

まず面白かったのが中村竜司氏。彼は流山おおたかの森のショッピングセンターにあるメガネ店の設計を行っている。客が歩く通路と通路が交差する角にあるという立地と、メガネをかなり大量におきたいというクライアントの要望、また盗難対策といったさまざまな細かいパラメータを読み込みながら、作家性を上手くもたせたユニークなメガネ店をデザインしていた。鏡の数と配置、また壁の数と配置を調整することで、鏡を通じて店員が店内全体を把握し、また「見られる」意識を作ることで盗難を防止するというシステムは興味深かった。

また「ローカルシティ」ということで岩佐明彦氏のプレゼンも非常に面白かった。彼は2000年前後から新潟で地方都市のショッピングセンターのフィールドワークをやっているらしい。そこで観察されたのは、「インドア郊外」という現象であったという。地方は基本的に車を使った移動になる。家から車に乗り、巨大ショッピングセンターの屋内駐車場に入り、そのままシームレスに店内に入って行く。このように私的空間と本来公共的であるはずの空間が、明確な境界を経ることなくだらっと接続する状態を、彼は「インドア郊外」と呼んでいる。
現に彼が観察したお客の車にはぬいぐるみやその他本来移動には使わないはずの物を数多く搭載しているケースが多く、それはあたかも車が移動用の手段ではなく一つのプライベートな個室として捉えられているようだ、と指摘していた。そうした一連の流れが「ショッピングセンターにジャージで行く」という、近年になって見られ始めた現象に繋がるのではないか、と話していた。このジャージでショッピングセンター話はコメンテータの若林氏が非常に気に入っていて、後々何度も言及していた。

ショッピングモールの今後

第二部では、若林幹夫氏が各パネリストに対してコメント。そこから議論が始まっていった。

若林氏は、建築という行為を「空間を意味づけるシステムの構築」であると位置づけていた。以下個人的な見解なのだが、そのような役割が有る一方、ショッピングモールと言うとジャスコ的なものが念頭に置かれがちである。ただショッピングモールと言ってもいくつかタイプがある。
例えば確かにジャスコにはジャージで行くかもしれない。しかしヴィーナスフォートにはジャージで行かないだろう。その違いはいくつもあるが、一つにヴィーナスフォートは空間を意味づけるための統括的、物語的なシステムを内部に偽装している。一方でジャスコにそれはない。ジャスコにあるのは、中村氏の例にあるように、ただひたすら個別のパラメータとそれに対する最適解の集積である。現に中村氏の落ち着いた雰囲気のメガネ店の横に、きらびやかなファンシーショップが並んでいる。それらを空間的に意味付けるシステムは、そのショッピングセンターには内包されていない。

そうした中で、ショッピングセンターが今後変わっていくとすれば、どういう方向に変わっていくのか。単純にロードサイドに巨大スケールでどーんと出店する戦略は、ビジネスとしてもまた地元商店街的なものとの関係においても上り坂ではない。それはいわゆるテーマパーク的なスペクタクルを求める方向に回帰するのか、それともそれこそ地元の歴史性、固有性といったものすら建築的な領域が引き受けるべきパラメータとして扱い、徹底してそれらを読み込んで最適解を出しに行く方向なのか。
最後に会場から質問の機会があったので聞いてみた。残念ながら時間の関係もあって期待した答えは得られなかったのだが、是非今後個人的にも考えていきたいし、建築家や社会学者の方の意見も聞きたいテーマである。