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絶倫ファクトリー

生産性が高い

田母神氏は外山恒一の私塾に通うべきだったのではないか?

裸の王様に「王様、裸!」と告げる子供が、最も無垢で、最も無粋であることを踏まえた上で。

外山恒一というピエロの残したもの

外山恒一が2007年都知事選の政見放送でやってみせたのは、「表現の自由(笑)」とやらが、本来最もそれを侵害すると想定された来た国家によって、実は一番保証されている(政見放送という国が用意した枠組みにも関わらず、あの内容が検閲されない)ということの暴露である。民間の番組では決して放送されぬ内容が、政見放送で許されたということ。民主主義国家における「民」の惨状がそこで白日に晒された。
そしてそれがyoutubeで、ニコニコ動画で繰り返し再生されたこと、つまり「ネットでの支持(笑)」が擬似的に回収できたこと。これらは「外山恒一」という人物を通して、この国に存在すると思われてきた「表現の自由」「ネットを通じた大衆の支持」なるものに強烈な「(笑)」が付与されたことの証左に他ならない。彼はピエロであった。現実と建前の境界を、いとも簡単に(供託金はかかったが)揺さぶったのだ。

ピエロであることを忘れたピエロ

「無粋」とは、無自覚な転倒である。ピエロがピエロであることを忘れるとき、ネタがベタに摩り替わるときである。どうもこのことを忘れている人がいる。田母神氏は、ベタ化した外山恒一である。「表現の自由」と「ネットの支持」を携えて、「ネタとして」トンデモを撒き散らした外山氏のパフォーマンスを、ベタにやることの無粋さには目を覆う。この国の「表現の自由」と「ネットでの支持」がいかなる惨状にあるのか、彼は知らないらしい。彼は外山恒一政見放送の動画を見て、そのMADを見て、笑うことも、けなすことも出来ない。鏡に映った自分の姿を見てできるのは、ただ黙することだけだ。

外山氏は現在、九州で私塾をやっている。田母神氏は入学すべきだったのでは、と思う。彼にはもう少し、ユーモアのセンスが必要だろう。もしかしたら、良いMADの素材になって帰ってくるかもしれない。*1

*1:その前にbotになる可能性もなきにしもあらず。