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絶倫ファクトリー

生産性が高い

「情報×人」のブロゴスフィアから「人×人」のSNSへ―あるいは、ブログ論壇の終焉?

以下全然根拠がない話をつらつらと。

「情報量×処理する人間の数=一定」…?

情報をひたすら羅列する雑誌が売れない、という話がある。ただ情報をカタログ的に載せるのではなく、読者にお勧めする、「教えてあげる」雑誌の方が好まれるらしい。『ぴあ』のリニューアルなどはそういう傾向の証左なのかもしれない。
技術は進歩するが、人間の情報処理能力はそう進化しない。インターネットが発達し、情報が溢れても、それを処理する力はそうそう上がらない。量の面からも質の面からも。
となると、人間が処理している情報の量は、常に一定なんじゃなかろうか。
「発信された情報×処理できる人間の数=定数α」みたいな感じで。
逆に言うと、多くの人間に情報を処理して欲しい場合、つまり多くの人間に情報を受け取って欲しい場合、発信される情報の量は少なくなければならない。ずらっと並んだ情報のバイキングより、シェフのお勧めコースの方が、同じものをより多くの人間に見てもらえる。マスメディアは従来後者の方法を行ってきた。インターネットが登場して、時代は変わると喧伝された。実際に変わった。情報はいたるところに溢れ、バイキングのテーブルは端から端まで到底歩ききれないものになった。
ではお客は増えたのだろうか? そうはなっていないだろう。前述の式が正しければ、バイキングのメニューが増えれば増えるほど、それを上手くお皿に盛り付けて食べることの出来る人間は減る。多くのお客が望むのは、分かりやすく手間のかからない、シェフのお勧めコースだ。
インターネットが変えてくれたのは、この例で言うなら、レストランに行ける人間を増やしたことだ。ただそれはインフラストラクチャーの問題であり、バイキング式のレストランに行くのか、シェフがお勧めしてくれるレストランに行くのか、そこまでは決めてくれない。決めるのはお客だ。
僕はインターネットが大好きで、もっちーが何を言おうがはてなもグーグルも好きなのだが、けれど世の中はそうはならないだろう。依然として、というよりも前よりももっと、マスメディア「的」なシステムが強くなる。それは別にテレビや新聞がもっと儲かるという話ではなく、やり方の問題である。メディアはなんであろうとかまわない。

「情報×人」から「人×人」のSNS

しかしこれではパイは増えない。人間の情報処理能力が格段に飛躍しない以上、大多数の人はある一つの同じ情報に群がり、ごく少数の人間がコツコツ情報をえり分ける。どちらが良い悪いという価値判断はここでは重要ではない。ただそうなるだろうという話。
そして現在、そうした状況を打破した、ないしは打破しつつあるのが、SNSなのではないか。「発信された情報×処理できる人間の数=定数α」がもし本当なら、パイは一定だ。でも発信されるのが情報ではなく、人間ならどうだろう。情報×人、ではなく、人×人。そうすれば情報の受け手と送り手の増加は一致する。そこで処理される情報の量は、累増していく。もちろんこれも人口という大きな壁はあるのだけれど、少なくともSNSというシステムは、情報を人に処理させるのではなく人を人に処理させるシステムを作り出した。
濱野智史による『アーキテクチャの生態系』の中に、「Facebook vs google 新旧プラットフォーム間闘争」という節があった。この論そのものはソースのオープンネスにつての話だったのだが、このSNS対グーグルという図式は今後も激しさを増しながら拡大していくのではないかな、と思った。
そして「人×人」という定義で持っていけば、何もfacebookmixiだけがSNSとは限らない。twitterなどもあれは個々の呟き(情報)ではなくあくまでユーザー個人と個人の関係性に主眼が置かれているシステムだ。佐々木俊尚氏が『ブログ論壇の誕生』なる本を出したらしいけれど、個人的にはそれは結局「情報×人」のパラダイムの中から抜け出ておらず、新しいバイキングの種類が増えただけ、という感触しか持てない。それは「誕生」しているのが「発見」されたときには既に死んでいた、哀れなる嬰児だったのかもしれない。