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絶倫ファクトリー

生産性が高い

「ソーシャル・ネットワーク」と「縦の力」

映画の感想

対比が綺麗に描かれている映画だった。冒頭がまず美しい。フェニックス・クラブのいわゆる「リア充」たちがリアルソーシャルグラフを使ってお楽しみのころ、1人のギークが作り出した美人投票システムが多くの人を楽しませている。この対比が一つの画面の流れの中に収められていた。
また劇中のザッカーバーグは、単なるギーク。技術力はあるが、リアルなソーシャルグラフは極めて狭い。そこをショーン・パーカーが自分のソーシャルグラフでもってポンと資金を調達させる。完ぺきなマッチングの外で、ソーシャルグラフを上手く利用できなかった哀れなエドゥアルドはクビになった。

この映画はFacebookの成長ではなく「起業」にフォーカスを当てた映画だと評されているが、Googleに代表されるITベンチャーの先達たちはほとんど出てこない。ナップスター創設者のショーン・パーカーとのやり取りも、ナップスターという企業ではなくパーカー自身やパーカーの語るシリコンバレーの世界にザッカーバーグが惹かれていった、という描かれ方をしている。劇中で、彼がなぜシリコンバレーに惹かれるのか、詳しい説明はない。ただパーカーが持っていると思われる「すごい世界」が彼をまるで西部劇のように西へと突き動かしていた。*1

「縦の力」の広がり

宮台真司が最近「横の力」「縦の力」という言葉を使っている。最初に僕が見たのは『.review vol.001』での西田亮介との対談だったのだが、「横の力」というのは、既存の社会的制度の中で相対的に決定される関係、もしくはその関係を作ることで、「縦の力」はもっと属人的で、絶対的な関係性のことを指している。「縦の力」は、「こいつはすごい」と思う一種の「感染」がベースになっている。

劇中では、「横の力」を利用した試みは徹底して失敗している。ウィンクルボス兄弟は学則と学長という社会的な制度を使ってザッカーバーグからFacebookを取り戻そうとし、一蹴される。エドゥアルドはCFOという、与えられた肩書きに固執し、型どおりの営業をして空振りに終わる。一方、Facebookの利用者ですらなかったショーン・パーカーは、その破天荒な人格がザッカーバーグに「感染」し、彼にシリコンバレー行きを決意させる。終盤、1万9千ドルの小切手がパーカーからエドゥアルドに手渡され、「縦の力」の勝利が宣言される。エドゥアルドとウィンクルボス兄弟から仕掛けられた裁判沙汰でさえ、ザッカーバーグから「交通違反の罰金程度」の和解金を引き出して終わった。

ソーシャルメディアで広がるネットワークは、フラットな人間関係を促進させるイメージがある。しかし実際には、FacebookTwitterも、現実の世界で有名だったり、魅力のある人が広大なネットワークを持っている。社会的制度に基づいた既存の関係がいったん外され、ネットワークは各人の魅力や個性によって広がるようになった。ソーシャルメディアは、リアルのネットワークを「横」ではなく「縦」に接続し直す。この性質を、この映画はFacebookそのものの描写をあまり使うことなく、描いている。

*1:池田純一「第n次南北カルフォルニア戦争」で、西海岸へ行くことで人々が解放される「Go West」の物語である、と指摘されている(『ユリイカ』2011年2月号)