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絶倫ファクトリー

生産性が高い

『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』

 

未読だったので読んだ。「グーグル・パーソナライズ・民主主義」というサブタイトルでほぼどういう本だか見当が付きそうだが、その検討は外れていない。

 

インターネットではユーザーとサービスの間でフィードバックループが起きやすい。ユーザーの行動が定量的に観察できるため、サービスはユーザーの行動に合わせて機能を変えたりサービスを提供したりする。これが人間の認知に影響を与える、つまり視界を覆うフィルターとして機能し、多様性が失われるのではないか、という話。筆者はこれを「フィルターバブル」と呼ぶ。ユーザーはフィルターの泡の中で、公共性に触れることなく過ごしてしまうと言うわけだ。

 

問題意識としてはサンスティーンの『インターネットは民主主義の敵か』やレッシグ『CODE』、その他プライバシーとインターネット関連の諸問題もろもろを引いてきており、とくに目新しいものはない。むしろユーザーとサービスの間にあるフィードバックループにはさまざまな種類があるのに、十把一絡げにして「フィルターバブル」などという比喩でまとめてしまっているため、個々の議論としては頷ける部分もあるのに、総論としては首をかしげるざるをえない。フィルターといっても、ユーザーの行動履歴を分析し、最適な情報をレコメンドするものと、多数のユーザーを大衆として定量的に扱い、衆愚的にコンテンツを与えるもの、これらは根本的に異なる。

前者は基本的にユーザーの利便性を高めるものであり、ありうるリスクとしては個人情報の横流しやユーザーの利益に反するようなマーケティング(同じECサイトで同じモノを買ったユーザー同士で、パーソナライズの結果値段が違う、とか)がある。これらは基本的にフィルターとしての問題と言うよりは、副次的に発生する問題で、個別撃破で解決していくしかないし、解決可能である。

後者はそもそもパーソナライズですらなく、ユーザーが受動的に情報を受け取る態度が原因であり、テレビや新聞でも同様の問題はある。著者はそれでもテレビや新聞と言った報道機関は何を報道すべきか基準を持ってコンテンツを作っているのであり、無いよりマシであるといった論調を張る。が、問題は受け手の話であり、ではテレビや新聞の報道を受動的に受け取る時間がインターネットの衆愚的なコンテンツを受け取る時間に変わったとして、受け手の行動は何がどう変わったのだろうか。もちろんそうした比較は本書にはない。あるのは理想化された「市民」像だ。

本書はこうした2つのフィードバックループの話を「フィルターバブル」という比喩を使って無理やり突破しようとしている。確かにパワフルではあるが、ちょっと雑。

 

ただ面白いのはこの本がそれなりに広範囲な読者に売れてそうなところである。パーソナライズによる問題は2000年以前からすでに具体的な問題を伴って語られてきたが、インターネット業界に携わるものやアカデミックに近い界隈で語られてきた。Amazonやブクログのレビューを見ると、そうした議論に触れてきた人しか読んでない、というよりむしろこうした議論に初めて触れる、という人もそれなりにいそうで、何か潮目が変わりつつあるのかなとも思う。

 

【追記】他にも色々とこの本は難があって、技術決定論を批判しておきながら自分の語り口がずいぶんと技術決定論的になるという古典的なミスをやっていたり、あとフィルターによって人間の学習行動が阻害されることを懸念しているんだけど、それって結局要は人間の学習行動の力を著者自身が過小評価しているんじゃないかという話とか。多分本書に対する一番短いカウンターとしては、「フィルター自体も淘汰されていくよね」という話かもしれない。もちろんそのためにユーザーが声を上げなければならないというのは賛同しつつ。