[]存在規定
無意識と自我の混在した絶対的存在から、外の世界を認識し、自己の存在を認めることで、初めて人間は相対的に自分の意識ー自我ーを獲得する。
では。
その逆はあり得るのか?
すなわち、意識が存在を規定することが、あり得るのか?
あり得る、と考える。
長い間、外の世界に晒されず狭い世界の中で「熟成」された個体が、初めて外部に接触したとき、その個体は急激な環境の変化に、個体の中にある意識を利用し、自己の存在をそれに会わせ規定することで適応する。
これが、意識が存在を規定するということに他ならない。
つまり。
このしちめんどくさい文言を使って何が言いたかったのかというと。
お金がない!
俺という存在があっても行動するためのお金がありません!ていうか茅ヶ崎に帰ってきてからの方がよっぽどお金を使っています!
筑波という狭い世界の中でお金を使わないように「熟成」されたklovは、久々に外界に晒されたため、急激な環境の変化に耐えるため意識(=お金)を利用し自己の存在を規定したのです!(=飲み会たくさん)
もう何か意識とか存在とかどうでも良くなってきましたよ!要はお金がない!同情するな金をくれ、といいますが俺は今同情とお金両方ほしいです!(欲張りすぎです)
と思ってたら横から娼夫でもやればという声が。そら同情も貰えるわな。