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ー読書日記ー♯2 下流社会 三浦展



確かに売れている。新書で、周りに買った人間を四人も見たのは初めてだ。
にもかかわらず、いやだからこそというべきか、読後の言い知れぬ気持ち悪さは筆舌に尽くし難いものがあった。

そもそも本書で扱われている「階層化社会」という概念は、本来の意味での社会学で学術的に証明された現象ではない。用語としては、少なくとも2002年日韓W杯の後、香山リカが著書「ぷちナショナリズム症候群」にて同じニュアンスの言葉を使っていた。だがそれは心理学的なデータに基づくものであり、サンプルも少ない。
この三浦展の「下流社会」は、それをさらに先鋭化したものだ。「階層化社会」という、学問的には論証されていない漠然とした単なる「イメージ」を、分母の少ない偏ったサンプルでさも証明したかのように見せ、階層化が進んでいるかのような錯覚を人々に植え付け、それが世論になる。こうやって階層化社会という「イメージ」は社会全体に広がり、人々の関心をあおり、これを扱ったテレビがウケ、本が売れていく。そうするとまた階層化社会のイメージが広がり、テレビがウケ、本が売れ・・・以下繰り返し。
社会学を扱っていると自称するものたちのヤラセではないかとさえ思う。浅い議論、甘い根拠。これがもしも今の日本の現状を表す決定版として世に広まるならば、それは日本全体が疑問を持って物事を検証するという批判精神が一切かけているという現状を表すものに違いない。議論、根拠軽視でイメージ先行の世の中が形成されているのかと思うと、もはや気持ち悪さというより嫌悪感、吐き気に近い。

著者は一介のマーケティング業に携わるものである。業務としては、売れたもの勝ちで、経験則に頼ることも正しいのだろう。だがそれを新書一冊出して物事を主張するという立場に変わったとき、きちんとしたデータきちんとした方法論に基づかないのは、一種の煽動行為にしかならないのではないか。
学ぶということ、それに価値があるとするならば、こういった論理の仮面をかぶった仮説に踊らされないようにすることだろう。「イメージ」を具体化させ、人々を踊らせ、結果得をするのは踊っている側ではない。躍らせている側なのだ。我々は、論理を持ってして自らを傍観者の側に立たせねばならない。