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「ニート」って言うな! (光文社新書)

「ニート」って言うな! (光文社新書)



「ニートって言うな!」を読んで思ったんだが。

ポスドク問題がそもそも「問題」として語られる背景には、昨今の「ニートが増えてる」「ニートは問題だ」とか言う言説が一因にあるんじゃなかろうか。

読むとわかるが正確な意味でのニートは増えていない。というかニートの定義が本来の定義とごっちゃになっている。そして世の中のイメージたる「部屋でひきこもってて働こうとしない」、つまりひきこもりと限りなく二アリーイコールな意味でのニートなど、増えていないのだ。(というかひきこもりとニートを二アリーイコールで結ぶこと自体間違っている)

にもかかわらずこれだけニート問題ニート問題と叫ばれている先には、「働いて金を生み出さないやつはクズだ」みたいな世の中の雰囲気があると思う。

だから、大学院を出てドクターを取った人間が職に就けないこと=問題だ!という流れができても確かに不思議ではない。

けど文学者をはじめ、昔から学問に身を興じようなんて人間は大体半分ニートみたいなもんだ。国語の便覧なんかで文学者とかの簡単な生い立ち見たいなのを読んで、「こいつらどうやって生活してるんだろう」と思ったのは一度や二度じゃない。

そもそも「働いて、お金を生み出し、社会の役に立つ人間にならなければならない」みたいな言説の中の「社会」って何を指すんだろうか。今普通に世に出て働いている「社会人」が本当の意味での「社会」の役に立っているとはそうそう思えない。ろくに家で家事も手伝わず、通勤電車の中で雑誌読んで「最近の若者は・・・」とか吐いてる中年が社会の役に立っているのだろうか。否、それは各個人個人が思い描いている、認識の限界の中に納まっている小宇宙的な「社会」の中だけで役に立っているのである。別の「社会」の中ではまったく評価されない人間かもしれない。

個人的には、社会人⇔学生という典型的な対比構造があまり好きではないので、乱用は避けたいんですが。