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語りえぬ、の境界

詭弁どころか自分の知識不足をさらしかねないと思っていたので書かなかったが、ここで間違いを指摘されるのも勉強のうちと思い書く。

ヴィトゲンシュタインの放った「語りえぬことについては沈黙せねばならない」という言葉。字面だけだと「不言実行」みたいでカッコイイ(確かヴィトゲンシュタインが本来持たせた意味は違ったはずだが、ここでは普段人々の間で使われている意味に順ずることとする)が、ふと疑問に思うのは、何が「語りえぬこと」なのかを誰が決めるのかということ。
「知らないことはいうもんじゃない」という意味で使うならば、おそらくこのブログは知らないこともバンバカ喋ってかなり間違いも含んでいるだろう。社会学・政治学・哲学の専門家から見たらそれこそ「沈黙せよ」と言われかねない。
が、高校生のときの自分に対してそれらの分野をちょこちょこ説明する分にはおそらく今の知識で何とかなる。なぜなら高校生の自分は今より知識がない。語りえぬこと=知らないこと、が多いからだ。
誰から見て「語りえぬこと」なのか。そしてその境目=限界を自ら決めることは、既存の自己の知識体系・言語体系を固定化し、その外への「乗り越え」を放棄することに繋がらないだろうか。「乗り越え」は時に外部との摩擦(失敗)を引き起こし、磨耗することもあろう。だがそうした状況を経ることで自らの知識・言語体系を強化することができるのではないか。
もちろん、摩擦を受け入れていく謙虚な姿勢が必要になってくるが。