絶倫ファクトリー

生産性が高い

「本を読むのが遅い」という人へ

つまり自分へ。
以前、友達が「一日一冊」を掲げて読書をしていてすげぇなぁと思ったことがある。読むスピードがやたらめったら遅い僕としては絶対無理だ、と思っていたのだが、一日一冊とは言わずとも、自分である本を読む期限を設定しておくことは悪いことではない気がする。というのも自分の生活を見直していて、「本を読むのが遅い」というのはつまるところ時間の管理が下手なんじゃないか、と思うからだ。


大学生といえど、一日中本を読んでいられるわけもなく、そのほかにやらねばならぬことはたくさんある。だから読書はそうした時間の合間を縫って行うことになる。だが一つの行動をいつまでもだらだらと続けていたり、無目的的に行動していたりすると、あっという間に時間は過ぎていく。逆に、「本を読む」という行動を挟み込むことで、一日に行うその他の行動は分断され、スパンが規定されていく。こう考えると、「本を読む時間を作る」というより、一日に行う行動のスパンをあらかじめ設定することで、本を読む時間は形成されていく。


「読書時間」を作ることで逆に周りの行動スパンを決定していく。他の行動時間が決まることで、読書の時間が確保される。相互補完的な形にはなるが、読書の時間を設けることで、自分の時間を管理することができる。そうすれば、読むのが遅い人は遅いなりに一定の成果を挙げることができるのではないか。