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ルールを変えるためのルール

文化系トークラジオ Lifeの「文化系大忘年会」の回を聞いていてちょっと気になったことがあったのでメモ程度に。

スザク=鈴木 ルルーシュ=赤木?

12月30日放送「文化系大忘年会」part6 (文化系トークラジオ Life)

このpart6の部分で、メインパーソナリティの鈴木謙介が、アニメ「コードギアス」の登場人物になぞらえて、自分は「スザク」であると話している。僕はコードギアスを見ていないので詳しいことは分からないが、作中に登場する帝国・ブリタニアに対抗する手段として、スザクは過激な外部からのテロではなく、組織内部からの漸進的な変革を志向しているらしい。社会の力学に飲み込まれないよう注意を払いつつ、内部から具体的な力を持ちつつ社会を変えていこう、というのが鈴木謙介のスタンスなのだろう。
一方で、「コードギアス」の主人公ルルーシュはその逆である。彼はブリタニアに対し、外部から非情な武力闘争を挑む。外からのカリスマ的な力、超越的な力で変革しようとするタイプである。そして鈴木はラジオの中では言わなかったものの、彼がスザクならルルーシュとして想定されていたのは赤木智弘であろう。戦争という超越的な外部の力によって、社会の変革を望む赤木の姿勢は、(僕がこの短い時間で知りえた限りでの)ルルーシュの姿と重なる。

個人的なことを言えば、僕は「悪法も法」という言葉を是としている。いかにそれが出来の悪いルールであっても、そのことはルールを破ることの正当性を担保しない。ルールに文句があるならば、破るのではなくルールを変えるべきだ、と考えている。なので鈴木謙介=スザク=漸進的改革派の立場に近いと言える。

けれど、「悪法も法」が成り立つには条件がある。その法自体に法を変更するための法が用意されていなければならない。ルールに、そのルールを変えるためのルールがきちんと明記されている必要がある。そうでなければそもそもルールを変えることがルール違反になってしまう。逆に言えば、こうした変更手続きの用意されていないルールは、もはや外から破壊してしまって構わないと思っている。

これは全くの想像だけれど、鈴木はこの社会の中に社会を変えるための手段が存在していると考えているのではないか。社会というルールの中に、きちんと社会を変えるためのルールが書かれていると。一方赤木は、もはやこの社会に社会を変えるための手段など用意されていない、と考えているのではないか。社会というルールの中に、社会を変えるためのルールは書かれていないと。

ルールを変えるための第三の方法

では、両者の間には断絶しかないのだろうか。両者の間を埋める何か中間的なものは存在しないのか。
ルールを変える、という話に関しては、socioarcさんで一度2年ほど前のエントリに大変面白い話が載っている。

socioarc: 「ゲームのルールを変える」ゲーム

ここには、鈴木も赤木も取っていない、第三の方法が載っている。鈴木は社会の内部からルールを変える。ゲームで言うなら初期装備の武器はどんなのか、初期ジョブは何か。どんなジョブが強いのか。強い武器は何か。そうしたパラメータを細かくいじろうとする。一方赤木は社会の外部からルールを変える。外から無理やり魔王を持ってきて、その魔力でもってみんなジョブを「すっぴん」に、持ってる武器を「ひのきのぼう」にしてしまう。*1
そして第三の方法は、そもそも勝利条件を変えてしまう。鈴木も赤木も、とりあえず強くなってラスボス倒す、という勝利条件は一致しているように見える。それを変える。ラスボス倒したら負け。強いジョブや高い武器買ったら負け。何マジになってんだよ。装備もジョブもデフォルトのまんま生き延びた方が勝ちに決まってんだろ、という風に。

リンク先にあるように、これは装備もジョブも貧弱な自分をそのまま肯定するため、現実の状態そのものは変わらない。それにどのようにしてこうした価値観の逆転を起こせるのか、明確な方法も分からない。ただこうしたやり方は、よくRPGの遊び方であるような「〜しばり」(パーティ全部このジョブ、パーティ全部このタイプのポケモン、24時間以内にクリアしないとダメ、セーブなし、等)的な要素であると言える。スマートにクリアすることは価値が無く、全く別の評価軸で価値が判断される。これはこれで面白い。ただし、こうした「〜しばり」的な遊び方は、大概一度スマートにゲームをクリアした後、もう一度リセットしてからやることが多い。もしこの第三の方法が日本で積極的に広まるとするなら、その時日本は既に「一度クリアされて」「リセットされた」状態にあるのだろう。

*1:あれ、FFとドラクエ混ざってるかも