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今井哲也『ぼくらのよあけ』と阿佐ヶ谷住宅

ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC)

ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC)

Amazonより。

西暦2038年、夏。人類が地球から宇宙を見上げている、それぐらいの未来。団地に住んでいる小学4年生の沢渡ゆうまは、間もなく地球に大接近するという“SH・・アールヴィル彗星”に夢中になっていた。そんな中、ゆうまは謎にみちたモノと出会う。どうやら地球のモノではない──しかも例の彗星とも何か関係があるっぽい! これって何!? 『ハックス!』の今井哲也が描く宇宙スケールの最新作!!

人類が地球から宇宙を見上げている、それぐらいの未来。宇宙大好き小学生、沢渡ゆうまは、謎にみちたモノと出会う。人工知能を搭載した家庭用オートボット・ナナコの体を乗っ取るように出現したそいつは、2010年に地球に降下したとき大気圏突入時のトラブルで故障し、団地に擬態して休眠していた人工知能なのだという。「私が宇宙に帰るのを手伝ってもらえないだろうか?」団地経由の宇宙行き、極秘ミッションが始まった!

ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC) 今井 哲也 http://t.co/IwNq28y

ということで、SFでジュブナイルである。地球外生命体に人工衛星、彗星である。もうこれだけでおなかいっぱいになれる人もいるだろう。そういう全体のプロットだけでなく、この今井哲也という作者の漫画の上手さ、描写の細かさも手伝って、語るポイントの大変多い作品になっている。

ガジェットから伝わるリアルな未来

舞台は2038年となっている。近未来なので、当然身の回りのガジェットは今より進化している。ただその進化具合が絶妙なのだ。例えば学校。教科書や黒板は当然電子化されている。出席は携帯で。ここら辺はまあ割と誰でも思いつきそうだが、その挙動が妙にリアル。例えば携帯は出欠をとると、通話の受信、メールの受信しかできなくなる。今どこかで提供されていてもおかしくないサービスだ。新聞も電子化されており、かつ個人の好みに合わせて記事のチョイスがパーソナライズされている。

また子供たちの間では、Twitterに似たチャッティングサービスが流行っている。「サブ」と呼ばれているようだが、どうも正式なサービス名ではなさそうだ。友人との会話をテキストベースで表示する点はTwitterと一緒だが、映しているのが空間投影ディスプレイのため、画面の大きさが固定されない。それを利用してか、会話の分岐がすべてツリー状に分けて表示される。主要人物の女の子がこれを使っている時、親に「ネットしてるなら手伝ってよ」と言われるのだが、この時彼女は「ネットじゃないし」とほとんど屁理屈のような返しをする。これもまた妙にリアルなのだが、ここで「ネットではない」と言われているということは、SMSかP2Pか、おそらくTCP/IP(正確にはネットではなくWebとの相違だが、まあWeb=ネットになるよね普通は)とは別のプロトコルを使っているのだろう。
他にも路線バスが自動操縦になっていたりする。それでいて巡回バスだと行き先の違うバスに乗ったときものすごく焦るところは相変わらず今と変わっていない。方向音痴的な自分としては絶望的な未来だが、まあ仕方ないのだろう。

ちなみに、この溢れるリアリティのなかにあって、物語の鍵を握る「オートボット」と呼ばれるロボットだけが明らかに2038年には実現してそうもない。これは家庭内のあらゆる家電とネットワークで接続しており、スマートTVの延長線上にある世界で、スマートフォンと同等の役割を持っている。しかしインターフェースはテキストではなく音声会話であり、明らかに他の技術より進化の度合いが高い。第1巻の終盤、「技術的特異点(シンギュラリティ)」の話が出てくるのだが、つまりこのオートボットが技術的特異点の果実なのだろう。

阿佐ヶ谷住宅が選ばれた意味

主人公の男の子3人は、阿佐ヶ谷住宅に住んでいる。阿佐ヶ谷住宅は、その名の通り阿佐ヶ谷駅から南に徒歩15分ほどのところにある実在の団地である。団地といっても最高4階までしかない低層〜中層の団地だ。この団地は、単に彼らの住まいであるだけでなく、地球外生命体との接点ともなっている。なので『ぼくらのよあけ』は、団地が非常に重要な役割を果たす団地漫画でもある。

この阿佐ヶ谷住宅の描写がこれまた妙にリアルなのだ。あまりにリアルなので、一冊丸ごと阿佐ヶ谷住宅について書いた『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』という本をうっかりAmazonでぽちってしまった。

奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅

奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅

この本は阿佐ヶ谷住宅だけでなく、日本住宅公団(現UR)という組織がどのように日本の住宅供給に関わってきたかも書かれており、団地好きの人にとっては必読の本だと思う。

この本によると、阿佐ヶ谷団地は昭和33年に竣工した。1958年。『Always 三丁目の夕日』の時代である。それが2038年、80年後を舞台とした漫画の舞台として取り上げられている。現在、阿佐ヶ谷団地は取り壊し・増築の予定がある。そんな団地が、何故この漫画の舞台となったのか?

それが非常に気になって、この本を読み進めた。阿佐ヶ谷団地は、日本住宅公団の設計課が設計した。ただ事前に公団は団地のプロトタイプをいくつか個別に建築事務所に発注している。このプロトタイプの発注先が、かの有名な前川國男事務所だった。前川事務所はテラスハウスを用いた団地のモデルを低k表した。しかしこれはプロトタイプである。住宅公団の「本所」はこれを標準設計として、実際に建物を建てる地域の支所に渡し、支所はその標準設計の範囲内で、周辺地域の事情に合わせて団地を設計する。そしてこの阿佐ヶ谷住宅を管轄する東京支所の担当者が、前川國男と同じレーモンド事務所出身の、津端修一であった。

津端は1997年、英子夫人との著書の中で、阿佐ヶ谷住宅の魅力をこう振り返っている。

「この環境の中で子育てをしたいと、結婚してからこの団地に戻ってくる第二次世代も現れてきていた。この期待以上に成熟した共有の緑地には、団地内の仲間が集まり、バーベキューをする若い人たち、花見をする老人たち、小さい子供を遊ばせる母親たち、草木の手入れをする人たちの楽しそうな姿が見えた」

阿佐ヶ谷住宅は、その後建てられる公団住宅とは違い、戸別の坪面積にかなり余裕がある作りだった。さらにテラスハウスという形式を取ったことにより、裏庭も非常に充実していた。当時阿佐ヶ谷住宅の造園を担当した技師は、一年中何かしらの花が咲くよう、開花時期の違う草花を植えていたようだ。こうした緑地は「コモン」と呼ばれ、一時期は住民の運動会などもおこなれていた。このような恵まれた居住環境は、その後の住宅政策が質より数を目指す方向へと変わるにつれ、なくなってしまう。逆にその希少性が、「奇跡」と呼ばれる所以なのだろう。とにかく、阿佐ヶ谷住宅は世代や趣味嗜好を超えて人々が集う場所として、記憶されていた。

『ぼくらのよあけ』第1巻では、終盤に親世代の物語が展開される。正確にはこの後展開されることが示唆されるだけなのだが、それもやはり舞台は阿佐ヶ谷団地だ。阿佐ヶ谷団地は、地球外生命体と地球人だけでなく、世代を繋げるプラットフォームとして機能している。こうした機能は、阿佐ヶ谷住宅が持っている、世代を超えて継承される魅力に繋がっているように思える。

また『ぼくらのよあけ』ではよく緑や川といった自然が描かれている。阿佐ヶ谷住宅の設計を担当した津端も、住宅内の緑を「えたいの知れない緑」と呼んだ。住宅内の緑は、造園技師によって計画的に植えられた緑、住民(阿佐ヶ谷住宅は分譲住宅なので、コモンは住民の私有地なのだ)によって植えられた緑、鳥などが運んだ緑と、グラデーションがある。そのため計画以上に緑が繁茂し、管理費を圧迫するほどになった。その「えたいの知れな」さと、団地という環境の適度な狭さが、ジュブナイルという作品に適していたのかもしれない。

いずれにせよ、語るところの多い作品である。今井哲也という作者自身についても、非常に興味が湧く。残念ながら僕は彼の他の作品を読んだことがないので、興味がある人はこの漫画を知るきっかけになった @sakstyle のエントリを読んでいただきたい。

今井哲也『ぼくらのよあけ』 - logical cypher scape

続きが非常に楽しみな漫画だ。