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松谷創一郎『ギャルと不思議ちゃん論』

ギャルと不思議ちゃん論: 女の子たちの三十年戦争

ギャルと不思議ちゃん論: 女の子たちの三十年戦争

ギャルと不思議ちゃんの系譜

「ギャル」と「不思議ちゃん」の系譜を追うことで、(若い)女性の文化史を紐とく。というよりも、女性が(積極的/消極的問わず)選択するスタイルの歴史が網羅的に書かれている。

基本的には<コ>ギャルの歴史を追うことで本書は進んでいく。80年代、若い女性が選ぶスタイルは「少女」だった。しかし90年代以降、そうした「少女」に対する社会のまなざし・欲望を逆手に利用する<コ>ギャルが登場する。彼女たちは自らに降りかかる性的なまなざしを、欲望を、期待を利用し、生きるための軸としていく。著者は彼女たちのそうした姿を「メタ少女」呼ぶ。

もちろん、こうした振る舞いは「少女」に期待していた一部の男性からは反発を受けるのだが、その後も<コ>ギャルは分化と近接領域との接近を繰り返す。ガングロ・マンバといった派生形を生みだし、またコンサバやオタクとの接近も2000年代以降、行われるようになる。

いっぽうで「不思議ちゃん」は常に多数派に対するカウンターとして存在する。カウンターであるため、著者いわく「いつの時代も明確な像を結ぶことはなく」、明確な変遷を遂げていない。ギャルが渋谷を拠点とするのに対し、不思議ちゃんは原宿が情報や流行の根源地となる・「個性」を強調する・女性誌でいえばCUTIEがその系譜に当たる、などの特徴はあるものの、確たる芯があるわけではない。戸川純・しのはらともえ・きゃりーぱみゅぱみゅといったモデルの系譜からも、そうした曖昧さが見てとれる。

ネットと女子の関係

個人的に気になるのは、こうした女性のスタイル選択とネットの関係である。ネットは何につけても「名指し」を行う。メンヘラ・非モテ……ファッションに限らずあるスタイルについて、類型化し、名指しを行う。CGM、つまり閲覧者と発言者が極めて、近接的である状態ではこの類型化の作業はコミュニケーションを円滑にする上で非常に重要となる。

名指しは、スタイルのクラスタリングを加速する。それは簡易な類型化を伴う。つまり「**であればxxというスタイル」「★★であればnn」という、類型化である。それはそのスタイルを選択することの障壁を下げる。またソーシャルメディアの普及によって、名指されたクラスタが広まる、つまり意識され再帰的に選択されるサイクルも縮まった。

これはスタイルの分化を促進する。逆にいえば、スタイルが使い捨てられる時間も短くしてしまう。そして、女性が常に何らかのスタイルに属さざるを得ないことを、女性自身が自覚する機会も増やす。何らかのスタイルを選択するというゲームから降りれない。降りたとすれば、降りたというポジションをあてがわれる。そのボリュームが大きければ、マーケティングの対象にされる。男がたとえ彼女らを見逃そうとも、資本は彼女らを見逃さない。これはネットの影響がなくても言えることだが、しかしネットはそのサイクルを加速する。メタゲームを加速する。

メタゲームの細分化と加速、そして何よりそうしたメタゲームから降りるという選択肢がないこと。そうしたことをネットが女性に自覚させる。つらぽよな時代である。

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