「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
- 作者: マックスヴェーバー,大塚久雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1989/01/17
- メディア: 文庫
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去年読んだのだけれど、レポートの関係で再読。概要だけさっくりつかみたかったので例の長ったらしい注釈は全部すっ飛ばして読んだら、意外とサクサク読めた。
この本から学ぶことは色々あると思うのだけれど、面白いなぁと思ったのが一つ。以下半分自分用メモ。
ウェーバーが言うには、資本主義が発展したのは営利に対して厳格な態度を取るプロテスタント、わけてもカルヴァン派の系列だ。彼らは予定説に基づき、自らが神の栄光にあずかる資格のある「選ばれた」人間だという確証を得たいがために、仕事を「天職」として全うする禁欲的な態度を取る。そこでは目的としての営利は嫌悪されるが、「天職」を全うするための手段としての営利は許される、というか賞賛される。
ところが、こうした禁欲的で勤勉な態度が広がると、やがて資本主義は成熟し、自己増殖し始める。こうなるともはや資本主義を資本主義たら占めているのは宗教的な禁欲的態度ではなく、資本主義のシステム自身である。宗教心は資本主義の維持に必要なくなる。
ここに見えるのは、禁欲的態度という「中心」によって発生した、資本主義という「外部」が、そのシステムの構造自身によって自立しやがて「中心」を消滅させるという構造だ。これは非常に面白いと思った。「中心」が消滅してしまったからこそウェーバーの逆説は「発見」なのであり、画期的なのだろう。
今のところレポートでこの構造をどうにか応用できないかと画策中である。ウェブ関連で出来れば応用例を見つけたいのだが、ちょっと詰まっているところである。さてどうしたものか。SNSの「(匿名性に対するアンチとしての)記名性」なんかは消え行く「中心」にはまりそうな気がするけれど、mixiネタも随分使い古した気がするので他になかろうか。思いつかなかったらこれでいこう。