読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

絶倫ファクトリー

生産性が高い

とあるばあちゃんと携帯電話の話

すいません僕エスパーじゃないんですが…


先週の土曜、つまり子供の日の夜、駅前の西武の近くのベンチで夕飯を食べていたところ、一人のおばあさんが声をかけてきた。
「ここの席いいですかい?」
別に僕は使ってない席だったのでどうぞと言った。えらく茨城弁の強いそのばあちゃんは、「じゃましないからじゃましないから」と言いながら、ものすごい勢いで話しかけてきて、色々俺のことを聞いてきた。大学はどこか、一人暮らしか、出身はどこか…
そして僕が飯を食い終わるころには、話はばあちゃんのことになっていた。茨城の田舎の方から来たこと、親戚のこと、肺がんになったけど薬飲まなかったら勝手に治ったこと、甥がひばりが丘の駅前のビル二階で歯医者をやっていてその下がパン屋であること…個人情報保護法もびっくりのダダ漏れ具合である。


そしてかれこれ30分くらい話した中で分かったことは、
・そのばあちゃんは西武に買い物に来た。
・行きは娘さんの車で送ってもらった
・帰りも娘さんが車で迎えに来る
・しかしそのばあちゃんは携帯電話を持っておらず、待ってるのだがなかなか会えない
とのこと。

公衆電話もなさそうだし、ここで見捨ててはいそうですかさようならというわけにもいかない。
「携帯を貸しますよ」
ところがなんと迎えに来るはずの娘さんも携帯電話を持っていない。しかもそれだけではない。
「待ち合わせの場所と時間は…?」と聞くと、返ってきた答えは「それを忘れちゃったんだよ」さらに娘さん、今日まで西武に来たことがない。
驚愕。あり得ない。そんなもん会えるわけがない。僕の心の中はまさに「それなんてエスパー?」である。だがここまで来てしまったからには仕方が無い。30分も無駄に話を聞いた時点で米粒大しか残っていない自分の良心にかけて、ここは助けるしかない。

三菱の白?誰が探すの?僕ですよねそうですよね


どうも聞けば僕に会った時点で一時間以上さまよってたらしい。しかも買い物した荷物を抱えて。どれだけ元気なばあちゃんなんだと半ば感心しつつも、そりゃ娘さん諦めて帰ってるんじゃね?という気もよぎった。

それから後は大変である。夜8時を過ぎているため、西武は閉店しており館内アナウンスは使えない。しかもばあちゃんが勝手に色々動く。実家にかけて娘さんが帰ってないかどうか確認したり、「駐車場を探す」とか言って勝手にライトオンの店員に絡むし、店長さんは出てくるし。バスで土浦まで行くとか言い出すし。ばあちゃん、80歳超えてるならもうちっとそれなりに静かにしてて下さい…
結局電話で確認したところ、娘さんはまだ実家に帰っていなかったので、単身バスで帰るのはちとマズイ。残された方法は迎えに来ているであろう娘さんの車を探すこと。でもどうやって?

…もちろん僕が走るしかないわけで。さすがにノーヒントでは辛いので、ばあちゃんに色々聞いていくうち、車が「三菱の白の乗用車」だということが分かった。そんなもんこの広い駅前にどれだけあるのか分からなかったが、探すしかない。セダンかワンボックスかステーションかとかは聞いても無駄だろうから聞かなかった。

後はもうひたすら脚で西武の周りにある白い車をあたって三菱かどうかを確認する。しかし根本的に三菱車種が全く見当たらない。夜、駅前でそこらの車に近づいては離れる僕。どうみても不審者です本当に(ry
そして十数台目でようやく三菱の白に行き当たった。が、ドライバーがいない。仕方が無いから引き返そうとするとドライバーが戻ってきた。娘さん(50歳代らしい)の年齢に近そうだし、何より顔が似てる!話しかけてみると…


ビンゴ!!!!


よーやく見つかった。夜の7時半に飯を食い始めて、この時点で9時近い。長い夜だった…
これで多分一生分の良心を使い切ったに違いない。あと今後僕が助けるとしたら、始業式の日に曲がり角でぶつかった転校生くらいなもんである。*1

ケータイ・ディバイド


ところで、本題はこっからだ。僕がこれで話したかったのは、お礼にもらった鱒寿司が無駄に高そうでやっぱりおいしかったことでもなく、ばあちゃんに携帯貸したら実家の人と20分も全く関係ないことを長々と話されたことでもなく、ばあちゃんが買いに来たのが商品券で、それが今度入院する病院へのいわゆる「袖の下」だったらしい(!)ことでもない。

携帯電話だ。ばあちゃんの話を統合すると、現在ばあちゃんの周りで暮らしている人の中で一番若いのが迎えに来た娘さん。そして彼女を含め誰も携帯を持っていない。
さらに後日僕の携帯にかかってきたばあちゃんからの電話は、見事に非通知設定だった。デフォルトがそうなってるのだろう。多分設定を変えれば直るのだろうけど、していない。なぜならばあちゃんの周りにはそれを指摘する人がいない。携帯電話を持ってる人が誰もいないから。

ばあちゃんの周りは、携帯電話を持っていないのみならず、そこにかけるということも含め、携帯という「文化」そのものが見事に欠落している。一番若いのが50歳代の娘さんということなので、そういうこともないことはないだろう。
だが果たしてそれで今後いいのか。道路や電車といった社会的インフラは今より便利になることはあれ、不便になることはないだろう。そして今後あのばあちゃんはしばらく長生きするだろう。遠出する機会もあろう。そのときに携帯無しで、今回のようなことがまたあったらどうするのだろう?

確かに20年前は携帯なんか無いに等しく、今でも必須とはいえないかもしれない。なければないなりの生活をすればいいのかもしれない。だが周りがこれだけ携帯電話を持っていることを前提とした生活に切り替わる中で、茨城の田舎に住む典型的な高齢化家族が、携帯電話から全く切り離された生活を送っているのは一種の「デジタルディバイド」ではないのか。

他の子供さんはみんな東京や千葉に出て行ってしまい、若い人が極端に少なくなった。結果デジタル関係の文化が一切ばあちゃんの周りには入ってこなくなった。多分こうした話は地方じゃちっとも珍しくないだろうし、思い起こせばうちの父方の祖父祖母も全くその通りである。

こうした「全く必須でないが、あると便利なもの」に関する最低限のラインというのはどう引くべきなのか。昔エアコンを生活保護の対象から外したら、うっかり猛暑で老人が死んじゃったという話があったらしいが、このご時勢日本で生きるのに最低限必要なものは大体ほぼ揃っている。ではそれ以外がぜいたく品かというとそうでもない。エアコンの例だって、見方を変えれば「エアコンがあれば老人を猛暑から救えた」ということが分かったことになる。
携帯の場合は別にそこまで重大ではないかもしれない。今回だって僕が助けなくても他の人が助けただろう。けどもっと人が少なくて電車もバスもあまり無いようなところだったら?季節が真冬だったら?

世の中がどんどん便利になるにつれ、それに乗る人と取り残される人との格差もどんどん開いていくのだなぁと感じた。それが高齢化・地方の過疎化による「情報の格差」によるものだとしたら、まさか行政が携帯を配れとは言わないが、是正する価値はある気がする。むしろそこらへん携帯会社にとってもビジネスチャンスだったりするような気もするのだが。

*1:もちろん僕は食パンをくわえている必要がある