「自由論」J.S.ミル/「Haru」始めました。
「Haru」を始めてみました。すげー気軽に書き込めるブログ?みたいな感じ。
かなりゆるい。まだベータ版なので色々突っ込みどころはあるけれど、日本語版Twitter見たいな感じで良。
み、みんなで頑張って繋がろうよ!
…社会学的に見たらどんなサービスに見えるのかこれ。考えてみるべきだ。
ところで誰か僕を「nowa」に招待してください。。。←新しモノ好き
- 作者: J.S.ミル,John Stuart Mill,塩尻公明,木村健康
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1971/10/16
- メディア: 文庫
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J.S.ミル。今検索したら新訳出てたのね…まいいよ中古だから。
250ページくらいの、厚くない本。
趣旨は一貫しており、実に明快。すなわち、「我々を自由にせよ」
ただしこの「自由」とは、それ以前のルソーやらが言う、「国家の干渉」からの自由に限らない。ミルは自由を侵害するのは国家だけでなく、民衆もまた自由を侵害するものとして扱っている点が画期的だと思う。
今や政治的問題を考える場合には、「多数者の暴虐」は、一般に、社会の警戒しなくてはならない害悪の一つとして数えられるに至っている。*1
民衆が、「慣習」であるとか「伝統」であるとかを持ち出し、盲目的に一つの規律(法ではない)を遵守し、他者の自由を侵害することをミルは徹底的に非難している。そうした民衆の態度を「不寛容」と彼は呼んでいる。
意見を自由に述べること、そしてその意見を実行に移すこと。これらは他人の自由を侵害しない範囲で、他人に害悪を与えない範囲で最大限保持されるべきだという趣旨は、極めて明確に功利主義の精神を表している。*2
言ってることは極めてシンプルなのだが、それがどの程度の行為にまで及ぶのか、そしてそもそも何故自由は侵害されてはならぬのか、というところまで深く言及している。そして理論の展開の仕方が、ある主張をミルが行い、それに対して行われると思われる反論をあらかじめミル自身が用意しておき、それをミルが反駁するという手法を取っている。そのため、議論の仕方を(相手の反駁の仕方を)学ぶのにもいい機会になるのではないか。
例えば、他人の自由を侵害しない限り、それが自分の問題である限り、何をしても良いといいならば、自分を奴隷として売り渡す契約を行ってもいいのか、という問いに対して、ミルはこう答える。
他人の利益と関係が無い限り或る人の自発的な行為に干渉しないという理由は、その人の自由を顧慮するためである。(中略)ところが、己れを奴隷として売る場合には、彼は己れの自由を棄てるのである。*3
こうした考えから見るに、ミルが擁護している自由というのは、個々人が持つ自由というよりも、抽象化された「自由」という「概念」なのだろう。自由という概念が傷つくことを、徹底的に彼は嫌った。だから自由を放棄する自由を認めなかった。それがたとえ自らの手によるものであろうとも。まるで司法のパターナリズムが「人格」という抽象概念を擁護したように。