読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

絶倫ファクトリー

生産性が高い

裁判は「真実」を「明らか」にしない。

法について


僕は映画は見ていないのだけれど、その通り!とひざを打つ思いをしたので。

『それでもボクはやってない』 - logical cypher scape

あと、裁判というのは、真実を明らかにする場所ではない、ということも

山口県光市の母子殺害事件の裁判過程、およびそれに対するブクマ・世間・2ちゃん等の意見を見ていると、どうも裁判に過剰な役割を持たせている人が多い気がする。

この世にタイムマシンが存在しない以上、過去に起きた出来事を100%真実と認定することは不可能だ。
裁判は、自白や証拠を基にして、蓋然性の高い「真実らしきもの」を形成する過程に過ぎない。
だから裁判の結果認定された事実は、100%うそ偽りの無い真実と保障されたものではなく、あらゆる選択肢の中からそれらしさが最も高いものを導き出したものに過ぎないのだ。

だからこそ、裁判の中で重要視されるのは蓋然性の高さで無ければならない。光市の裁判で言えば、弁護団の論理がむちゃくちゃであろうとも、感情でそれが排除されるのは裁判の原則にそぐわない。あくまで蓋然性の低さによって排除されるべきだ。それで被害者感情が傷つく傷つかないというのは、また全く別のレイヤーの話である。