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絶倫ファクトリー

生産性が高い

コンテンツの評価方法―数的評価か質的評価か

昨日、一昨日のエントリに絡んで、Twitterでm_um_u氏としゃべったことからサルベージして思考をまとめる。

確かに東浩紀の言葉を借りるまでも無く、インターネットの普及でコンテンツの「作り手の数>読み手の数」という図式に近づきつつある。そうした変化の中で「文化」の読み方を変えろという主張も、もっともだと思う。
ただそうだとするなら、それはコンテンツに対する評価の手段の議論と切っても切り離せない。携帯電話の普及で誰もがケータイ小説を書けるようになっても、ニコ動やyoutubeのおかげで誰もが映画監督になれても、ブログの普及で誰もが評論家になれても、それらのコンテンツを評価する手段は未だ数的評価によって為されている。どれだけの人数に読まれたか、どれだけの部数が売れたか、どれだけの回数再生されたか。だから現状がもしも「作り手の数>読み手の数」(もしくは=でもいいけど)だったとしても、「成功者」は数的評価の高いごく少数のコンテンツになる。それが恋空であり、アルファブロガーである。玉石混交のマーケットの中から、少数の「玉」が台頭するという図式は、30年前も今も変わらない。

数的評価は、バラバラに異なった質的評価同士を結びつける。逆に言えば、ある絵画を同じ1億円の価値と判断する二人の人の間でも、それぞれがその絵画のどこにどういった質的評価をしているのかは違うかもしれない。「文化」の読み方を変えろ、と言われたとき、僕らはその一環としてこの質的評価の可視化を考える必要がある。数的評価に還元しない方法での質的評価の可視化。今のところ最もうまくいっているように思われるのはニコニコ動画な気がする。擬似同期的コメントによる質的評価の可視化である。

もちろん食っていけるかどうかという話をしだすと、どこかでお金という数的評価に還元せざるをえないので、最初から最後まで質的評価で押し通すというのは難しいかもしれない。ただそこに至るプロセスで、どうにか面白そうな質的評価の可視化というのができないものだろうか。結論は丸投げなんだけれど、考える必要はあると思う。