「僕等」の居場所としてのWebはもう終わってる
普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。
話としては分かるんですよ。でもこういう感性って、もう圧倒的に古いと思うんですよ。
ここで言及されている坂口さんみたいな、Webをセルフプロデュースの場所としてさらっと、自然に使いこなすこの手合いは昔からいたわけで。
それこそブログが産声を上げた瞬間からさ。はてなも例外ではなかったわけでしょ。
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何も構造は昔から変わってない。でもGoogle+という環境で一番になるってことは、その下に有象無象の下位互換がひしめいていることが想像できるわけで。
一般化は出来ないけど、氷山の一角ではあるはずなんですよ。
Webは自分を売り出す場所ではなく「僕等」の居場所である、という感性はもっちーの時代・Web2.0の時代のレガシーだ。
確かに「僕等」の居場所ではあること自体に変わりはないし、でもその結末が端的に公共性を欠いた人間の露出=「バカ発見器」としてのWebでしょう。
Google+なりFacebookは、実名に紐づいた社会関係資本を欲している。それがカネになるから。
そしてそこに乗っかった方が得であると思う人が、多くなっている。多数派とは言わない。でも5年前に比べたら明らかに増えている。
WebとWeb以外の世界を切り分ける考え自体が、もう終わっている。
「僕等」の居場所であることに、もう価値はないんですよ。
次行きましょう次。次が何か分かんないけど。PCの前にかじりついて長文カタカタ打つブラウザの中の世界じゃないことは確かでしょう。