絶倫ファクトリー

生産性が高い

ブログ論?

を読んでいて、東浩紀が「ブログ」について以下のように述べていたので少し。

 「アメリカでは、ブログは出版=パブリッシュのためのツールなんです。言い換え れば、私的ではなく、公的=パブリックな空間を作るためのツールだということで す」

そうそう。アメリカではブログが大手ニュースメディアの存在を脅かすまでになっているとか聞くけど、日本じゃそんな話はまず聞かない。話し手の東浩樹だって、非常に有力なブロガーの一人ではあるけれど、彼一人でメディアに対抗できるわけじゃない。
何故日本とアメリカでブログの立ち位置がこんなに違うのか。ブログがアメリカから日本に持ち込まれる際、作った人が確か「日本にはもともとウェブで日記をかく週間があった、云々」と言ってたのを覚えています。「エンピツ」とか。
そうなのですよ。日本には確かにウェブ上で日記を付ける習慣はブログ以前にあった。ただしそれは大まかに分けて2タイプあったんです。

1.アメリカと同じようにパブリックな空間を作るためのツール

ただしここでの僕が使ったパブリックは、パブリッシュのためのツールという意味合いは低いです。今のブログのように完全に私的というわけではなく、見る人間を意識し、その人たちに何か訴えかけていくようなスタンスがあったという意味です。
その訴えかけは様々で、人生について語るものもあれば恋愛についてだったりいじめについてだったり。その過程で他のサイトとの思想信条の違いから小競り合いもかなり起きてました。まぁその小競り合いも含めて私的ではなく公的だったと言えるでしょう。5〜6年前でいえば「斬鉄剣」なんかがその中心にいました。

2.「ネタ帳」としてのツール

上記のような日記サイトー「テキストサイト」と呼ばれていましたがーが広がる中、そういったちょっとお堅いパブリックツールとしての日記サイトではなく、あくまで自分の生活に依拠した日記を書き、しかしそれを人々の興味の、笑いの対象とさせるいわば「ネタ」を書くための日記サイトが隆盛になります。というか前々からそういうサイトはあったんですが、とあるサイトをキッカケに爆発的に広まります。それが「侍魂」でありその中の「先行者」だったわけです。侍魂の、黒背景に白文字、そしてフォントサイズや色をいじくってこれでもかと自分の生活をネタ化させる手法は、当時劇的に流行りました。以降「テキストサイト」といえばこのタイプの日記サイトを指すようになります。

僕も中学〜高校にかけて2番のようなタイプの日記サイトをやっていたのですが、そうした人々は現在のブログのような普及率ではありませんでした。そうしたサイトは既存の日記サービスを使わず(使うと表現方法が制限される場合が多々ある)、htmlを自ら組んで一からサイトを作っていたんですが、そうした作業の煩雑さが敷居を高くしていたのでしょう。実際問題トップに日記書いて毎日毎日それをログ用のページに移して保存して、月が変わればまたその月のログページを新しく用意して・・・とえらくめんどくさかったです。


しかしブログ、果てはmixiなどの登場はこうした煩雑さを一気に吹き飛ばし、誰でも日記が書けるようになった。しかし本来日本にあったのは「ネット上で日記を付ける習慣」ではなく、「閲覧者を意識した『テキストサイト』としての日記サイト」だったわけで。けれどブログ開発者が土壌にしたのは、そうした閲覧者への意識うんぬんを捨象した、単なる「ウェブ上で日記を書くという習慣」であったのです。

結果どうなったかというと、別にパブリックなツールとして何かを訴えかけ、そのレスポンスを通して議論するスペースでもなければ、閲覧者を意識して何かネタを提供する笑えるブログでもなく、ただ「ウェブ上の日記」という誰も頼んでいないような、つまらない日常の羅列が書かれたブログが有象無象に出現した。このブログも含めてね。

テキストサイト界が全盛期だった時期にちょうどネットを始めた自分としては、今の一億総ブロガー/ミクサー時代はかなり異常に見えます。以前だったら、上記の1,2番どちらにも当てはまらないようなサイトは誰にも閲覧されることなく閉鎖していった筈でした。今ほどネットを活用している人が多くなく、見る価値があると思わせなければ閲覧者は獲得できなかった(そもそも定額で接続し放題という環境がなかった)しかし今は単なるコミュニケーションツールとしての日記サイト=ブログが氾濫している。逆に言えば友人同士のコミュニケーションツールだから、知らない人間が入ってくる余地はなくまた必要も無い。ここに一定のブログ同士のコミュニティが形成され、コミュニティ間の決定的な断絶がある。


とまぁ、知り合いのブログ書いてる方々には嫌われそうな内容でしたが、別に今の状況が悪い、つまらんブログは消えろとか言いたいんじゃないんです。ただ現状と過去を比べそれが決定的に異なっており、ネットの中における「日記サイト」なるものの役割がかなり変質している、ということとその過程を書きたかっただけなのです。嗚呼、斬鉄剣とか懐かしい。